●信者さんのおはなし
「日本語を学ぶ人たちと共に」
金光教放送センター
(ナレ)皆さんは「日本語教育」という言葉をご存知でしょうか? 私たちが学校で習う国語とは違い、日本語を一つの外国語として教えることを言います。
神戸市にお住まいの服部和子さんは、今年68歳。異国情緒溢れる神戸の街で現在、日本語を教えています。
(服部)40歳までは主婦でした。
小さい子どもも好きでしたし、英語も好きでしたから、まあ、私の英語って言っても大したことありませんので、県立高校とか、その他、地域の私立高校に入学する方たちの英語のお手伝いを、何年かやっておりました。
私が日本語始めたきっかけも、私が東京出身だったために、関西弁が出来ない。でも、東京弁は出来る。東京、共通語ですね。「これを生かした仕事はないかなあ…」と思って、日本語教育に関わり始めました。
(ナレ)現在、服部さんは、いくつかの大学で教える傍ら、NPO法人実用日本語教育推進協会の理事としてボランティア日本語教師を育てています。
(服部)外国人に日本語を教える、その中で特に、「音声指導」っていうのに興味がありまして、色々なボランティア教室とかそういうところでご質問があるのは、外国人に教えてる時に、「発音がどうしても変で、どうやって直してあげたらいいか分からない」って言われるんですね。「じゃあ、どんなふうに変なんですか」て聞いたら、「いやあ、分からない。全体的に変なんです」って言われるんですね。その全体的っていうところを、きちんと聞き分けるためには、音声を、専門的でなくてもいいからちょっと分析的に聞き分ける耳とか方法とか知識とかがあったら聞き分けられる。
例えば、「拗(よう)音の『きゃ、きゅ、きょ』の『きゃ』が言えない。外国人にどうしてもその『きゃ』を言わせたい。どうしたらいいか」っていうようなご質問があった場合には、「『き』は言えますか」って言ったら「『き』は言える」って。「『や』は言えますか」って言ったら「『や』は言える」。「き」と「や」が言えたら、いきなり「や」に行かないで、「き・あ・き・あ」ってだんだん詰めて、「きゃ」ってもっていくような方法もあるし、いろんな「きゃ」を使った単語を使うとか、聞いててコミュニケーションがとれない発音とか、それからその方がすごく立派な方であるのにかかわらず、人格が低く見られてしまうような発音をされたり、イントネーションであったり、そういうのをちょっとお手伝いするという、そういう仕事ですね、音声指導というのは。
(ナレ)服部さんは、代々金光教を信心している家庭に生まれました。中でも一生懸命信心するおばあさんの姿は、当時幼なかった服部さんに、温もりや安らぎをもたらしました。服部さんは、金光教の信心との出合いを、おばあさんに思いを馳せながら振り返ります。
(服部)私がもう1年生の時に祖母は亡くなりましたけれど、ほんとに少しの出会いなんですけど、もうとっても生き方、ほんとに心から尊敬して、敬愛って言いますかね。皆おばあちゃんが大好きですね。祖母は誰にも決して強制はしなくって、温かくて村の人から、母たちから聞く話によりますと、行き倒れのような人たちもちゃんと面倒見てあげたり…。6畳ぐらいの部屋で、壁面一面がご神前で、子ども心にちょっと結構、大きいなと思ったんですけど、そこに祖母がいっつも御祈念してる側に私が横に座っているという、それが何かじっと座ってるのが、嫌じゃなかったんですね。祖母はほんとに一心不乱に御祈念しておりましたね。後から考えれば、御祈念せずにいられなかったことがいろいろあったんだと思うんですけど、でも祖母の側にいたのはすごく楽しかったっていうことと、祖母の姿がほんとに素敵な温かい…、それが原点かなって思います。
(ナレ)服部さんは小学生のころ、家族でお参りしている金光教の教会で、「人のお役に立たせていただく」という言葉を耳にしました。その言葉は今もなお、服部さんの心に深く刻み込まれています。
(服部)その言葉を通してね、お役に立たしていただけるという喜びっていうのがあるのかなって今回ちょっと改めて思いましたね。
「教育」っていう字ですね、教え育てるって書きますけれど、やっぱり今は「教」っていうのは「共」、共に育つっていうかね、「共」という字を使うことが、私もやっぱり教える立場、こちらサイドにいる人も、あちら側に座る立場にいる人も共に育っていく。両方がね、何かが上達していく。それがスキル、いわゆる言葉の技術であるかもしれないし、その言葉の技術を得ることによって、心が通じ合うっていうところが出てくると、一番うれしいなと思うんですね。それは教師が上から見てては出来ないので、「共に育ち、相手を思いやる心を、日本語教育を通して実現していく」っていうことかなって、ちょっと思ったりします。
日本語教育っていうことを通して私自身の世界が広がったと言いますかね。中にはほんとにつらい環境から来ている学生さんもいまして、その人たちが国の環境でご家族が不幸な目に遭ってる。その中、留学させてもらって来てるっていうような方たちもいらっしゃるんですね。ですから、そういう方たちの心がほんとに癒やされて、強い自分になって、幸せになっていって欲しいな、世界を広く見る、考える人になって欲しいなっていうことを願います。
(ナレ)「やり甲斐のある仕事をさせて頂き、楽しくうれしい毎日。神様にお礼を言わずにいられない」と語る服部さん。大好きなおばあさんの祈りに包まれながら、これからも日本語教育を通して共に育っていきたいと願っています。