ああ、神様に生かされている自分やなあ


信心ライブ
「ああ、神様に生かされている自分やなあ」

金光教放送センター


 金光教の集会で行われた発表や講話などを録音で紹介する「信心ライブ」。
 今日は、京都市にある金光教船岡山ふなおかやま教会の大引実おおびきみのるさんが昭和59年に金光教玉水たまみず教会でされた講話を聞いていただきます。

  ある教会の信者さんでございますがね、この方は子宮がん。入院されてですね、そして摘出をしてもらわれた。手術をされましてね。しかし、ひょっとしたら再発するか分からない。取ってもらっても、完全に安心だというところはいきません。保証できない、今日の医学でも。そういうところからね、毎日がこの不安です。まだお年が32歳。婦人の働き盛り。主人が、それまで勤めておられたんですが、商売させていただくということで、お勤め辞められましてね。そして、お商売始められた。子どもさん3人いてますねん。そこへもってきて、このご婦人が子宮がんでございましょう。もう毎日が心配。
 どう申しますかね…怖い、ね。怖い怖い怖い怖い。今日、目覚めたら、明日はどうなるか分からない。
 大変な手術を受けられたこの方にしてみましたら、果たしてこのまま、「完全にあなたは良くなりました。大丈夫です」と太鼓判押してもらってるんと違うんですからね。不安なんですね。人間の生きていく上において、不安なということぐらい怖いもんはない。そうでございましょう。一体どうなるか分からない。
 主人を置き、3人の子どもを置いて、もう居ても立ってもいられん、そういう時にこの方のお知り合いの方が、お手引きをされまして、お教会にお引き寄せいただかれた。
 一応治癒して退院はしたというものの、再発の可能性がある。そういう立場になったらね、もうお医者さんに掛かってあっても、制がん剤を受けておりましても、どうにもこうにもならん。かなわぬ時の神頼みで自分が一生懸命すがらなけりゃどうにもならん。お参りさせてもらわれましてね。何とかして助かりたい。人間のね、究極の「何とかして助かりたい」そういう願いを持って参ってこられた。
 その願いを受けられたそのお教会の先生はね、「人間というものはな、自分の力や考えで生きておるんと違うんですよ。たとえ病気患うておってもね、病気患うておっても痛いということが分かる、つらいということが分かる。これね、生きてる証拠だ。生かされてるんですよ。だからね、自分の力で生きてるんと違う。病気の立場であってもね、生かされておるんだ。自分の力で生きてるんじゃない。生かしてくださる、そういう一番中心というものが天地にあるんだ。だからその天地を、これをね、神様という。あなたもね、その天地の神様にこれからおすがりさせていただいて、生かしてもらいなさいや。その神様と共に、天地の一切のものを生かしておいでになる神様と共に生きる、その生き方をするのが信心という」。この方にその先生がね、そのようにお話になった。色々と繰り返し繰り返しお話なさった。
 何度となく話を聞かせてもらっておる間にこの方はね、「ああ、そうでございますか。今日からお参りさせていただきますから、どうぞよろしくお取次いただきますように」と日参が始まった。
 助かりたい一心でしょう。つらいんですね。こう見たら、子どもがおる、主人がおる、商売始めて間がない、そういうふうな状態。命に関わる問題です。ですから本気なんですね、助かりたいというものが。ついでに参ってこうかと違う。
 もうそれがね、その手術した体でもってですね、参ってこられる。だんだんだんだんと参らせていただいて、お話聞かせていただいておられるんでしょう。「何とかしてこの人が助かってくれたならば、神様が分かるのになあ。何とかして神様助けてください」。先生も一生懸命でしょう、それになりましたらね。
 自分自身の命の瀬戸際に立っておるその中で、この方の口から出たものは「私はお教会に参らせていただいて、ずっと教えを先生から聞かせていただいてますおかげでね、こういうことが分かった。自分という者は、ああ、神様に生かされている自分やなあということ」。
 お話というものは、えらい大変なことですね。おなかの中に入ってくる。いつも切羽詰まった状態であるが中に、その教えというエキスが入っていくんですからね、これ。この方の心の中にスーっと入っていく。こうして目が覚めたということはありがたい。こうしてごはん頂けるということはありがたい。子どもと話し出来るということはありがたい。制がん剤も飲ませてもらいます。お医者さんのお手当も受けられます。薬もお医者さんも天地のお恵み。全てのこと一切、皆神様の働きだ。お礼申さずにはおられません。これが「神様がしてくださっているんだという受け止め方をさせてもらえる」というその喜びですね。

 人混みの中で、みんな幸せそうなのにどうして私だけこんなにつらいことを抱えているんだろうと、孤独な気持ちでいっぱいになったことがあります。けれど、このつらさも、この寂しさも自分の命の元には神様がいて、その神様に今生かされてるからこそ、感じることが出来るんだと気付いた時、ほっと心が膨らみました。どんな時も神様はいつも私たちのそばにいてくださるんですよね。

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