●信者さんのおはなし
「神様はどう思っているんだろう」
金光教放送センター
「結婚前に彼から、『会ってほしい先生がいる』と言われ、教会の先生に会ったのが、私と金光教の出会いでした」と、おっとりと、でも芯のある口調でお話しくださったのは、鹿嶋市にお住まいの加藤佳枝さん、46歳です。
約束の日、時間に遅れてしまった佳枝さんを、教会の先生は、「女性は身だしなみに時間が掛かるものだ」とおおらかに迎えてくれました。「宗教」と少し身構えていた佳枝さんでしたが、その出会いから親しみも増し、結婚後も教会に参るようになっていました。
4年前の年の暮れのことです。佳枝さんは、冬休みを前に浮かれて庭で遊んでいる3人の息子たちに、「ケガをしないように」と注意していました。しかしその矢先、8歳の次男が1メートルほどのフェンスによじ登り、落ちてしまいました。病院では鎖骨骨折と診断されました。
ところが、3日後、次男の首が曲がったままの状態で動かず、痛がり、吐いてしまいました。微熱もあり頭痛もするようです。初めは風邪との診断でしたが、その後も症状は変わらず、改めてCTも撮りましたが、首の骨もずれていないとのことでした。しかし、年が明けても首の痛みは増すばかりで 寝起きするのも自分では出来ず、当然学校にも行けません。
教会の先生にこれまでも何でも話し、力付けられてきた佳枝さんは、次男のこともお話ししました。先生は、「このいたいけな子どもの心底からの願いを、神様は必ず聞いてくださいますよ」と言って、熱心に神様にお願いしてくださいました。原因が分からず不安な気持ちが、先生の優しい言葉で少し楽になりました。先生は、お神酒を少し手に取って、痛いところに付けるよう言われました。
教会の先生のことは信頼していますが、お神酒を付けることに違和感がありました。ただ痛がっている我が子を前に何とかしなければという焦りばかりが募っていきました。
1月末、効果は期待出来ないと言われましたが、けん引治療のため、次男を入院させました。佳枝さんは毎日次男を見舞い、夜、家に帰ると不安に襲われました。「本当にこの治療でいいのだろうか? あの子を助けられるのは母親の私しかいない」。佳枝さんはパソコンに向かい、インターネットで病名、治療が可能な病院、ありとあらゆることを調べまくりました。調べれば調べるほど分からなくなり、眠れなくなりました。昼間一人で車を運転していると涙が出て、自分で自分を追い詰めていきました。
3月に入っても全く回復がみられず、医師から、「危険を伴い、未経験ではあるが手術も考えてみよう」と言われます。佳枝さんは、今かかっている医師が信頼出来なくなり、インターネットで調べた大きな病院で診察出来るよう手配しました。とにかくその時は必死でした。しかし、せっかくかかったその病院のお医者さんからは、「治りません。気を付けて暮らしていくか、死ぬ覚悟で難しい手術をするかのどちらかです」と言われたのです。さらに、「死んでいたかもしれない。でも今ちゃんと命があって生きている。それだけでもすごいことでしょう」と言われました。佳枝さんが最も恐れていた最悪の結末を宣告されました。
打ちのめされ、佳枝さんは教会の先生に電話で報告しました。すると、「あなたは、信心の道に外れていますよ」と一喝されました。なぜ教会の先生に叱られるのか、分かりませんでした。「子どものためにやっていることのどこが信心の道に外れているのだろう」。そういう気持ちでした。続けて教会の先生は、「お医者さんの言われた言葉は、神様の言葉じゃないですか。まずは今、命がある。生きている。死ぬこともあったかもしれないその命を助けようと、今まであなたが頼りなく思っているお医者さんたちが最善の治療をしてくださった。そのことに感謝していますか」とおっしゃいました。
佳枝さんは、今日までのことを振り返ってみました。とにかく良くならないことにとらわれて、手遅れにならないかと右往左往していた自分でした。
その時ふと、佳枝さんは、「神様は私のこと、どう思っているんだろう」という思いになったのです。「あきれているだろうか。神様はずっと助けてくださろうとしていたんですね。そして、次男の命をつないでくださり今がある。このことがどれだけ尊いことだったのか」。神様の温かい思いがあふれ出し、その思いを頂くこともせずにいた自分に気が付きました。「神様、ごめんなさい。こんな私ですが、まだ助けてくれますか?」。涙があふれて止まりませんでした。そして、どうしたらその思いを頂くことになるのか考えました。
佳枝さんは目の前にあるお神酒を思わず手に取って、神様の思い、祈ってくださっている先生の思いとして、次男の首に付けました。そして今掛かっているお医者さんの治療を、神様のお手当てとして受けていこうと思いました。
けがをしてから半年後、病院に行くと、「98パーセント治っている、運動をやってもいいし、もう診察に来なくていいよ」と言われました。ここまで長い長い道のりでした。原因は珍しいケースで、けがと同時に風邪を引き、のどの腫れが脊椎(せきつい)に移行してしまったのではないか、とのことでした。
出口が見つからず、一方的に不安な感情を神様にぶつけてきた佳枝さんでしたが、「神様の方から自分をご覧になったら」と考え、神様の思いを受けていきたいと思った時、何かが変わっていきました。「一方通行ではない、神様の存在を近くに感じた貴重な経験でした」と爽やかに語ってくれました。