いつでもどこでも神様といっしょ


●信者さんのおはなし
「いつでもどこでも神様といっしょ」

金光教放送センター


 児玉こだまミエさんは現在80歳。青森県と岩手県との県境に近い、秋田県北東部にある山間の村で年を重ね、夫を亡くしてから、息子夫婦と3人で暮らしています。折々に5キロほど離れた金光教花輪はなわ教会に参拝し、畑でしその葉を栽培するなど、今も元気に過ごしています。
 まったく信心に縁のなかったミエさんが、どのようにして神様と出会い、神様と共にどんな生活をされているのか、紹介しましょう。
 ミエさんが21歳で隣の農家に嫁いだ頃、村の大半が、農業の傍ら炭焼きをしていました。ミエさんも重い荷物を背負い、夫と2人で炭焼き小屋まで1時間ほど歩き、炭焼きを手伝いました。とりわけ、雪深い真冬の炭焼きはきついものでしたが、苦に思ったことはありません。訳もなく怒り出すしゅうととの生活を思えば、口数は少ないけれど優しい夫と、2人だけで仕事に打ち込めるのは心安まる一時でした。
 しかし、2人の子どもを授かり、下の子がよちよち歩きをし始めた頃、思いもかけない事態が起きました。それまで元気だった夫が突然、「だるい。体が痛い」と言い出し、まったく働けなくなってしまったのです。
 あちこちの病院で診てもらいましたが、その原因が分からず、夫の具合は良くなりませんでした。でも、炭焼きをやめるわけにはいきません。夫には弁当だけを持ってもらって炭焼き小屋に行き、ミエさんがほとんど一人で動いて炭焼きをしました。
 そんな状態が4年くらい続き、夫は、本家のおばあさんの勧めで、家から5キロくらい離れた花輪教会にお参りをするようになりました。
 教会の先生は、「お医者さんの言うことをよく聞いて、真面目に信心をさせてもらえば、船にも車にも積めないほどのおかげが頂ける」と言われました。そして、1年ほどお参りをするうちに、体の痛みが取れ、だるさもなくなってきたのです。夫は「先生の言う通りに信心をさせてもらい、俺みたいな人間にでも神様はおかげを下さった。信心してよかった」と、よくミエさんに話してくれたそうです。
 やがて夫は、以前のように元気になり、農業の忙しくない時は神奈川県の建設会社に働きに行きました。その間、ミエさんが夫の代わりに教会にお参りするのです。夫は仕事先でも、近くの教会に参拝しました。そんな中で自宅を新築し、土地を増やすことが出来たのを、「教会にお参りさせていただいたおかげ」と2人で喜び合いました。
 夫が仕事に行っている間、ミエさんは炭焼きの他、色々な農作業を女手一つでしなければなりません。でも、時間をやりくりして、教会にお参りし、色々な行事や活動にも参加するようになりました。
 1月には毎日、信心仲間と連れだって、朝4時に家を出て教会まで、1時間余り雪の中を歩き、朝のお祈りに参拝しました。お祈りの後、先生から教えを聞いたり、道中、信心仲間から信心話を聞かせてもらうのが楽しみだったのです。中でも、「決して神様を手放してはいけないよ」というお話が心に残りました。「いつでも、どこでも、神様は私と一緒」。そんな思いがしだいにミエさんの心に根付いていきました。
 ミエさんは友達の誘いで、63歳の時、神奈川県にミカンもぎの仕事に行きました。行きはみんなといっしょでしたが、帰りは一人です。ミエさんは地元を離れることがあまりないため、すごく心配でした。たまたま、住み込み先の食事場所に神棚があったので、朝食時、いつも神棚に向かって、「今日一日、何事もなく、元気に働かせて下さい。うちに帰る時には、無事に帰ることが出来ますように…」と、心の中で真剣にお願いし、夕食時には一日のお礼を申し上げていました。
 すると何日かして、そこの奥さんに、「児玉さん。何か信心しているの?」と聞かれ、金光教を信心していることや、毎日、神様にお願いやお礼をしていることを話しました。また、「金光教の神様はどんな神様なの?」と聞かれ、「天地金乃神てんちかねのかみ様は天地の親神様で、天は父、地は母と言われ、作物を育て、人間を元気に働かせて下さる神様です。それで毎日、神様にお礼を申し上げているんです」と答えました。
 すると、横で会話を聞いていたご主人が、「なるほど児玉さんの言う通りだ。自分たちは、みかんが高く売れればいいとか、たくさん採れればいいとかばかり考えていたけれど、天地の親神様にお礼をする心には気が付かなかった。良いことを教えてもらった」と喜んでくれたのでした。
 このことがあってから、ご主人の考えで、夕食の時にみんなで、「今日も元気に天地の間で働かせていただき、ありがとうございました」と、声に出して感謝し合ってから、晩ご飯を食べるようになりました。また、ご主人が、「生産組合の会合で、あなたから教えてもらった、『感謝しながら働くことの大切さ』について話してきたよ」と言ってくれました。
 さらにありがたいことに、1カ月ほどの仕事が終わった時、一人でも帰れるように、ご主人が上野駅まで送って下さったのでした。
 数年前、10年ぶりにその農家から、「児玉さん、どうしてる。元気か?」と電話がありました。
 「私のことをまだ忘れないでいてくれるのがうれしかった。山のてっぺんで働くのも、木に登ってみかんを採るのも、本当に楽しかったなあ」と、懐かしげに話すミエさん。
 畑では、「このくらい伸びたのか。お天道様はありがたいなあ」「しその葉っぱさん、夕べ寒かったでしょう。ありがとうございます。今日も一日頑張ってくれよなあ」と作物に声を掛けるなど、日々、天地の恩恵の中に生かされている喜びを実感し、天地の親神様に感謝する生活を進めています。

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