●信者さんのおはなし
「琵琶湖の湖畔から」
金光教放送センター
滋賀県琵琶湖のほとりにある、喫茶店・ドリームを経営する鈴木直良さんは65歳。
黒い屋根のお店は、天井が高く落ち着いた広い空間。大きなガラス窓から、太陽の光がふんだんに店内に注がれています。
お店の中心には、神棚が祭られています。取材の日は、ゆったりとしたカウンターテーブルで常連のお客さんたちが、おいしいハンバーグランチに舌鼓を打っていました。
昭和21年、近江八幡市の貧しい農家に4人兄姉の末っ子として生まれた直良さん。お母さんはリウマチで関節の痛みが激しく、松葉杖をつきながらの生活。家でも這うようにして神棚の前に行き、祈りを捧げていましたが、「手足が痛い痛い」と言いながらも、金光教北里教会への参拝は欠かしませんでした。直良さんは、子ども心にお母さんが心配で、船に乗って日野川を渡り、5キロ離れた教会にお参りする母の手助けをしました。
昔から農業の盛んなこの地域は、どこの家にも田舟という小さな舟があり、それを利用してのお参りです。歩くことも困難で、竿を持って舟を押すことも難しいお母さんの手助けをしました。川に氷が張る寒い時には、長靴を履いて渡る日もありましたが、お母さんは愚痴もこぼさず、神様のおかげで生活出来ることにお礼を申し上げる毎日でした。また、手助けをしてもらいながらも、子どもと一緒にお参り出来たことは、お母さんにとってこの上ない喜びでもありました。それは、直良さんも同じで、親孝行出来る喜びと、お参り出来る喜びを感じました。
教会は、琵琶湖のほとりにあり、庵のようなたたずまいです。教会長の岡野すみゑ先生は、明治の頃、三重県熊野に生まれ、厳しい家庭環境に育ちました。やがて滋賀県北里に嫁ぎ、教会で奉仕するようになってからも、冬の早朝、冷たい川に入って修行をせずにはおれない一途な方で、お参りに来る方々の助かりを祈りました。厳しい修行の一方で情も厚く、川の鯉は、温かい先生の周りに集まったというエピソードもあります。
先生は自分は食べる物が無くても、直良さん親子をはじめ、お参りになる方どなたにも、「腹減ってへんか」と気遣い、大事にして下さる方でした。そんな先生は、直良さんにとって、お母さん同様、力強い心の支えでした。
若い頃から、直良さんはバイクや自動車が大好きで、22歳ですべての種類の免許を取得しました。免許の試験を受ける前に教会に参拝すると、先生は、「直ちゃん、心配いらん」と励まして下さり、その通り合格しました。
そして、大型車の長距離運転手をしていて大きな事故を起こした時も大事に至らず、また、椎間板ヘルニアと腎臓病が重なった時も、すみゑ先生から、「直ちゃん、大丈夫や、心配いらん」と言葉を掛けてもらいました。手術は8時間にも及び、当初3000㏄の輸血が必要と言われていましたが、1000㏄で済みました。
長い入院生活と食事療法が続き、直良さんは普通食が食べたいと思う毎日でした。内緒で塩昆布を食べて看護士さんに見つかり、また食べては叱られ、そのたびに身体が腫れあがりました。そんな時、すみゑ先生がお見舞いに来て下さり、「直ちゃん、食物は、みんな人の命のために、天地の神様が作り与えてくださるもの。薬だと思って有り難く頂きなさい」との言葉に、直良さんは、「そうだ。病院の食事も薬だと思って有り難く頂こう」と、ベッドの上で祈りながら、食事を頂くようになりました。
やがて退院し、すっかり元気を取り戻し、少しずつ働くことが出来るようになった直良さんは、子どもの頃と同じように、仕事の合間にはお母さんの面倒を見て、一緒に教会にお参りしました。
すみゑ先生は亡くなるまで、直良さん親子を祈り続けて下さり、いつも「天地の神様は見て下さっているから、どんなことでもお願いするように」と話されました。そしてお母さんは、「リウマチは、神様から徳を積む修行をさせていただいているんだ」と言い続け、信心一筋で天寿を全うするのでした。直良さんは、そんな二人の信心に導かれ、神様を信じていけば、どんな困難に遭っても、乗り越えていけるという信念を育てられたのでした。
その後、直良さんは結婚し、授かった長男長女も今は独立し、それぞれに信心を受け継いでいます。直良さんは、「今、生かされて生きている喜びに感謝し、お役に立たせていただき、人を助ければ自分が助かる」と子どもたちに話します。
現代の日本では、様々な問題が人々を苦しめ、自殺する人も年間3万人を超えると言われています。直良さんは、こんな時代こそ、信心することが大切だと語ります。
リウマチに苦しむ毎日を送りながらも、教会参拝を欠かさず、家族のことを祈り続けたお母さん。そして、いつも見守り、祈って下さっていたすみゑ先生に、今日まで信心を育てていただいたことに感謝の祈りを捧げる直良さんは、今日も家族や地域社会、そして喫茶店ドリームに集まる方々や縁ある人々の幸せを神様に祈っています。