天地とつながる生き方


●金光教教務総長きょうむそうちょう・年頭放送
「天地とつながる生き方」

金光教教務総長
岡成敏正おかなりとしまさ 先生


 共々に平成25年の新春を迎えさせていただきました。皆様、明けましておめでとうございます。
 本年は金光教の教祖である生神金光大神いきがみこんこうだいじん様が亡くなられて130年というお年柄になります。私どもにとりましては、金光大神様が今もなお、人助けの神としてお働き下さっていることにお礼を申し上げ、一層に成長させていただくための大切な節年と頂いております。
 教祖金光大神様は、幕末から明治期にかけて生きられた方です。元々はお百姓であられましたが、一家の繁栄に力を注ぎながらも、家族の相次ぐ死やご自身の大病などの苦難を経験され、その中で、我が力ではなく、神様のお働きの中に生かされていることを悟られ、次第に神様のお心を感じられるようになりました。
 やがて、今から154年前の安政6年、46歳の時に、神様から、「世間には多くの人が難儀に苦しんでいる。そうした人々が参ってきたら、神の教えを取り次ぎ、助けてやってくれ。そうすれば神も助かり、人間も立ち行く」とのお頼みを受けられて、自宅を広前として開放し、70歳で亡くなられるまで、お取次とりつぎによる人助けに専念されたのです。
 お取次は、金光教の中心生命とも言える働きです。金光大神様のお取次は、参拝者の願いを神様に届け、参拝者へは神様の教えを伝えて、その方が本当に助かる生き方へと導かれるものでした。そして、ご信心を始められた人の中からも、取次のご用に専念される方が各地に生まれ、今に生きる私たちも、日々、お取次を頂きながら、心の目を開かれ、神様に心を向けた信心生活を進める稽古をしておりますが、当時の方々がどのようなお取次を頂かれ、助かりへと導かれたのかを、求め求めしております。
 幕末のころのお話です。現在の岡山市に、20代半ばを過ぎた利守としもり志野しのというご婦人がおられ、一人息子の千代吉ちよきちさんは生まれつき病弱で、9歳の時には肺結核と診断されました。志野さんは、我が子の病気平癒と体の丈夫を願ってあちらこちらの神仏にお参りされ、祈とう者や易者などにもお願いしましたが、何の効果もありません。やがて、周りの人から生神様がおられると聞き、自宅から約50キロのところにある金光大神様のお広前にお参りして、我が子のことをお願いされたのです。
 ところが、我が子の病気が治ることをお願いした志野さんに対して、金光大神様は病気のことには一切触れず、「お日様のお照らしなさるのもおかげ、雨の降られるのもおかげ。人間は皆、おかげの中に生かされて生きている」と言われ、人間が天地のお働き、神様のおかげの中に生かされて生きているという内容のお話ばかりをされました。
 最初、志野さんは、「金光様が何を話しておられるのかが、分からなかった」と言います。けれども、そのお話を聞いているうちに、「これは大変なことをおっしゃっている」と思えてきました。そこへ、「人間はおかげの中に生まれ、おかげの中で生活をし、おかげの中に死んでいくのである」と言われ、志野さんは、がくぜんとさせられたのです。
 それというのも、志野さんにとって「おかげ」と言えば、息子の病気が治ることだけを「おかげ」と思っていました。ですから、自分たち親子の命は天地のお働きに生かされ支え続けていただいているとか、神様の「おかげ」の中に生かされているということは、考えたこともありませんでした。それどころか、「自分たちはただただ一生懸命に、真っ正直に生きてきたのに、どうしてこのような目に遭わなければならないのか」と、世を恨み、ついには、神様をも恨んでいたというのです。
 ところが、教えを頂かれた志野さんは、次第に、ご先祖様も自分たち親子も、人間の力を遙かに超えた天地の親神様のお働きによって生かされていたということを、自覚させられてきました。そして、ついには、「これからは改めて、神様にお礼を申し上げる生活に切り替えます。せがれにもよく聞かせまして、これから信心させていただきますから、どうぞよろしくお願いいたします」と申されたのです。
 志野さんは、金光大神様のお取次を頂いて、神様のお働きに生かされ続けているという自分の本当の姿に気付かされ、神様へお礼を申し上げる喜びの生活をさせてもらわねばと思うほどの、心の大転換をなさったのであります。
 こうして「神のおかげ」に目覚めた志野さんは、神様に生かされているお礼と喜びの生活を続けられ、やがて千代吉さんの病気が全快するという「おかげの事実」も生まれたということであります。
 私たちは、困ったことや苦しいことに出遭いますと、ともすれば、苦しさや出来事のとりこになり、湧き上がってくる喜怒哀楽にとらわれがちな心の癖があるように思います。けれども、私たちも利守志野さんが気付かれたように、問題や難儀に出遭うより先に、万物を生かし育んで下さる天地の親神様のお働きに生かされています。生かされて生きているからこそ、喜ぶことも出来るし、反対に悲しむことも出来、問題にも出遭うのであります。
 私たちは、「天は父、地は母である」との教えを頂いています。起きてくる問題に心を惑わされるのが人間ですが、その中にあって、まずは、変わることのない天地のお働きにお礼を申して、親神様と一緒に生きる日々を求め、重ねさせて頂きたい。そのことが、いつの時代にあっても、生きる力、助かる力を育むことになり、幸せを生みだす土台になると、信じております。

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