おかげで生きています


●先生のおはなし
「おかげで生きています」

金光教尾道西おのみちにし教会
藤井潔ふじいきよし 先生


 今から18年前(平成7年)のことです。私は、同じ肝臓の病気で苦しんでいた兄を失うことになりました。共に病状を連絡しあいながら、励ましあっていた兄の死は、大きなショックでした。このことは私の主治医にも報告し、相談もしていました。そして平成17年、私の肝臓にもがんが発見されることになったのです。
 それは、その年の1月のことでした。兄が亡くなってから10年が経ち、その節目のお祭りをお仕えさせていただきました。その折、兄嫁である姉からは、私の病状を問われ、「決して主人のようなことにはならないように」と言われていたのです。
 そして3月に入り、その月の検診を受けた翌日、主治医から電話を頂きました。前日の血液検査では肝機能の数値も正常でしたが、それでも主治医からの突然の電話はあまりうれしいものではありません。緊張しながら受話器を取ると先生は、「昨日の肝機能は問題なかったが、実は検査に併せて腫瘍しゅようマーカーによるがんの検査もしており、その数値が高い。心配ですから近いうちにCT検査を受けに来て下さい」とのことでした。早速に、翌日の検査を予約しました。
 次の日、CT撮影を終え、誰もいない廊下で待っていると、検査技師が写真を抱えて診察室に入って行きます。続いて名前が呼ばれ部屋に入ると、机の上にはCT写真が貼られ、先生が見入っています。
 すでに肝炎を発症して、その治療を20年近く続けていますと、それは見慣れた光景で、何がどこに写っているか、自分の肝臓の形状ぐらいは一目で分かります。肝臓の異常に気付いたのは、ほぼ先生と同時だったと思います。
 しばらくの沈黙の後、「これはがんですね。お勤め先に近いこの病院よりも、あなたの自宅は尾道おのみちですから、そちらの総合病院を紹介します。手術はそちらで受けてください。いいですね」ということでした。これまでお世話になってきた先生の言葉に、私は、「はい」と答えるだけでした。それは有無を言わせぬがんの告知であり、同時に的確な今後の治療方針の提示でもありました。
 「これは兄からおかげを頂いたなあ」というのが、その時の正直な思いでした。すでに話しましたが、兄の死に際して、私は主治医に、治療を受けていながら手遅れになったことに、「こんなことがあるのか?」と問うたのでした。その時先生は、「私だったらそうはさせない」と言われたのを思い出したのです。10年前のこの約束を先生はずっと守り続け、今回の発見につながったのです。先生への感謝と共に、先日、兄の10年祭を仕えたばかりでしたので、亡き兄からのプレゼントと思えたのです。
 私のがんの発見は、不安の始まりというよりも、私を守り続けて下さった先生と亡き兄の祈りという大きなおかげの発見から始まったのです。
 早速、先生の指示に従って転院の準備に移ります。入院、そして手術のため、仕事上での日程調整と家族への告知です。金光教の教会で教師をしながら、通勤で教団の仕事に当たっていた私は、紹介状を持って地元の総合病院に転院、手術を担当する外科医の診察を、妻と共に迎えることになりました。妻はそこで初めて私のがんという現実と向き合うことになったのです。
 すでにこれまでにも、肝炎治療のため数回にわたり入院経験はありますが、今回はその終着駅とでも言うべきがんの発見です。こうした入院のたびに言い尽くせぬ程の心配を掛けてきた妻に、本当のことを告げることは出来ず、「とにかく転院して新たな治療を受けることになったので、一緒に来てくれ」ということで、彼女は診察室に入ったのです。
 説明のため、先生がCT画像の解説を始めたときでした。私の後ろで聞いていた妻は、はっきりと写るがんの姿を見て、椅子から崩れ落ちてしまったのです。「奥さん、大丈夫ですか?」と言う先生の声に振り返った私は、妻の姿に、驚かせて済まないという気持ちと共に、「ありがたいなあ」「もったいないことだなあ」という思いで胸がいっぱいになりました。自分のことのように、いや、自分のこと以上に心を痛めている妻の姿に、私は、この人によってここまで支えられ、生きてこられたのだなあ。ありがたいことだなあ。私はがんの発見によって、「わたし」といういのちを、生かし支えてくれている妻という存在に改めて出会うことが出来たのです。
 その後、手術は順調に進み、1回目の手術では、肝細胞がんの摘出切除のおかげを頂き、ご多分に漏れず転移の末、1年半後に2回目の手術を受け、転移した副腎ひとつを切除しました。そして、その2年半後には、3回目として、胆管内転移により肝臓の右半分の切除手術を行い、今日に至っています。
 私は毎回毎回、迷惑ばかり掛ける難儀な存在なわけですが、その私を支え、助けて下さる様々な働き、家族や医療に携わる人々、そして私を生かしている様々な恵みと出会わせていただいた連続だったように思えるのです。
 金光教には、「難はみかげ」という教えがあります。人間は生きていくと、様々な問題に出合います。その問題と向かい合っていく中で、私たち自身を支え、生かしている様々な祈りや働きに出合うこと、気付くことがあります。
 この、私たちの背後で、黙って静かに支えてくれている働き、祈り、それを金光教では、「神様」と呼んでいます。ですからわたしの妻は、「お神様です」。…

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