娘の交通事故


●先生のおはなし
「娘の交通事故」

金光教南部みなべ教会
白神美惠しらかみみえ 先生


 心配していたことがついに起こりました。長女の乗っていたバイクと乗用車が接触事故を起こしたのです。
 2006年6月15日は、朝から雨でしたが、夜になって風が出て、台風のような降りになりました。当時、看護専門学校の3年生だった長女は、隣町の学校までバイク通学をしていましたが、その日はいつも帰宅する時間になっても帰ってきません。激しい雨なので、どこかで雨宿りでもしているのかなとも思いましたが、それにしても遅くなるのなら、メールが来てもおかしくありません。不安になって、どうしたものかと思っている時、電話が鳴りました。あわてて取りますと、「…お母さん…事故ったわ…」と震えた声の娘からの電話でした。電話が出来ていることにひとまずは安心して、主人に電話を替わりました。
 長女からの連絡を受けて、主人は早速現場に駆け付けました。主人が駆け付けた時には、長女は乗用車の横に立っていたそうです。それまでの時間、大雨の中でさぞかし不安であったろうと思います。
乗用車を運転していた若い男性は、長女をはねたショックで黙り込み、駆け付けたお母さんが心配そうに、息子さんに寄り添っておられたそうです。
 事故は、男性の車が細い脇道から広い県道に入ろうとした時、一時停止せずに進入したことで起きたようです。県道をバイクで走行中だった長女は、雨のためにいつもよりスピードを落としていましたが、「あっ!」と思った時にはもう当たっていたと言っておりました。
 長女は車にポンと押し出されたような格好で弧を描くように宙を舞い、現場から6~7メートル離れた芝生の上に落ちたそうです。大雨が幸いして、いつもより多くの水を含んだ芝生がクッション代わりになり、思ったよりも軽い傷で済みました。
 バイクは横転の末、回転して2~30メートル先でボロボロになって見つかりました。すぐそばには、コンクリートの電柱が建っていて、飛ばされていなかったら直撃していたかもしれなかったと聞き、よくぞ飛んでいってくれたものだと手を合わせました。
 後日、警察の確認のために当事者の2人が呼ばれて現場での聞き取りがありましたが、双方食い違うこともなく、車側もミスを素直に認め、長女は優先道を走っていたとはいえ、確認を怠ったことに注意を受けて、円満に収束しました。検査の結果も異常なく、日が経つにつれて打撲の痕があちこちに出てきましたが、1週間程で普段の生活に戻ることが出来たのです。
 思い返しますと、あの夜が台風のような雨風であったこと、空中に投げ出されたこと、そして落ちたところが芝生であったことなど、私はどれも全て神様が守って下さったと思えてなりませんでした。
 長女は、どちらかといえばおっとりとしたのんびり屋で、まさか看護師の道に進むとは夢にも思いませんでした。看護師のお仕事は、医療の知識に加えて、十分な体力と気力がないとなかなか出来るものではありません。長女は、私に似て疲れやすい体質でしたので、心配でたまりませんでした。
 学校から帰りましても、疲れて食事もせずに眠って朝に慌てて出ていくことも度々ありましたし、実習が始まった3年生になるとレポート作りのために徹夜状態で通学することもあり、そんな様子を毎日見ているのは本当につらいことでした。
 朝出掛けてから帰るまで、心配ばかりが心の中に渦巻き、子どもとの会話も、「大丈夫なの?」とか「1日ぐらい休んだら?」というものばかりであったように思います。考えてみれば、長女は一度も弱音を吐かず、本当に頑張っていましたのに、「看護師の仕事は娘には無理」という私の先入観と、子どもを無視した決め付けを親心だと勘違いして、それを振りかざしていたように思います。
 実は、長女が事故で芝生の上に落ちた時、しばらく気を失っていたのですが、気が付き、自分の体が動くことが分かった時、「『金光様、有難うございます!』と真っ先に思ったんだ」と話してくれました。これを聞かせてもらった時に、この子はこの子なりにちゃんと信心をしてくれているなと思いました。
 それに引き替え私はどうか。本当に恥ずかしいことであります。長女はあの状況でちゃんと感謝の気持ちを忘れずにおりましたのに、私は心配ばかりの毎日を送っていました。
 金光教には、「心配は体に毒、神様にご無礼。今日からは心配する心を神様に預けて、信心する心になるがよい。おかげになるぞ」という教えがあります。長女の交通事故を通して、自分のあり方を見直す時間をもらいました。
 長女は今年で看護師として6年を迎えます。あのように体力がないと思っていましたのに、一日も休まず勤めさせていただいております。これからも心配を願いに変えて、お礼の言える生活を共に歩んで行きたいと思っています。

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