神棚


●先生のおはなし
「神棚」

金光教白山はくさん教会
西野徳雄にしののりお 先生


 私は以前、住宅のリフォームや電気工事等を請け負う会社で営業の仕事をしていました。一般家庭はもちろん、会社など、仕事で訪問した件数は3万件にも及びます。私は、その訪問先でまず一番に気になることがありました。それは、神棚が祭ってあるかということです。なぜ神棚が気になるかというと、私は幼いころにあることを経験したからです。
 それは今から約50年前のことです。現在、私が奉仕している教会の道1本隔てた所に小学校がありました。そのグラウンドの砂場で、当時5歳だった私は、一人で遊んでいたのです。
 その時、突然、「地割れがするぞー!」との大きな声が聞こえました。私は不思議に思って、周りを見ましたが、どこにも人影はありません。とっさに自宅である教会に向かって一目散に走りました。
 距離にして200メートルぐらいあります。グラウンド横の門を出て、校舎の裏道を走りながらでも、その時、地面が激しく揺れているのが分かりました。後方では、3階建ての鉄筋コンクリートの校舎が屋上の方から崩れ、コンクリートのがれきが次々に落下しています。私が教会の玄関に飛び込む寸前には、小学校と教会を隔てている道路が、幅6メートル、長さ5メートルにわたり、すっぽり陥没して、そこから地下水があふれ出しておりました。
 命からがら教会にたどり着き、建物の中に入った時、お祭りしてある大きな神棚が見え、「助かった、助けていただいた」と、実感出来たことを今でもハッキリと覚えています。それは、自分の家には神様がお祭りしてあるということを初めて気付かされた時でもありました。砂場で突然聞こえてきた、「地割れがするぞー!」という声は、神様が私を助けるために聞かせてくれたのではないかと思いました。
 そのころの私は、毎朝母に連れられて、私が奉仕する教会と縁のある金光教新潟にいがた教会に15分くらい歩いてお参りをしておりました。眠い目をこすってぐずる私に手を焼きながらも、母は連れて行ってくれました。
 母は、毎日神様にお礼を申し上げ、人の助かりを祈っていましたが、私にとっては神様にお参りするより、母と一緒にいられるうれしさの方が大切でした。いつしか早起きは私の楽しみとなり、毎日の習慣になったのでした。神様のことなどは何も分からず、ただ人の力を超えた大きな働きを持った方がこの世にはいるらしい、と子ども心に感じていた程度だったと思います。
 そうした中で、この地震の体験は、神様に対する祈りや願いがひとごとではなく、現実に自分の命や自分自身の日常生活と深い関わりがあるのだということを気付かせてもらった出来事でもありました。
 幼い時のこの体験がありますから、仕事で事務所を訪問すると、お祭りしてある神棚に自然と目がいくようになりました。神棚があるとは限りません。無い所もあります。また、せっかくお祭りしてあってもほこりをかぶっていたり、お供えのさかきの葉っぱにクモの巣が張っていたり、あるいは、すでに葉っぱが枯れ落ちてしまっていることもありました。「はて? ここで働いている方々は、この神棚に気が付いているのだろうか?」と、思うこともありました。
 一般のご家庭に訪問させてもらった場合にも、同じように拝見しますと、あまり人の目に触れないような所にあったり、全くお祭りしていないご家庭もあるようです。生活様式の変化もあり、最近は、神棚やご仏壇の無いご家庭がどんどん増えてきているように思います。住宅を新築される時に洋風が多くなったため、ハウスメーカーによっては設計の段階から入っていない場合もあります。また、間取りや使い勝手の関係で隅に追いやられたり、省略されていたりしている場合もあります。このために、神様やご先祖様に感謝して生活をするという習慣が段々なくなってきているように思うのです。
 こうして現代は、私たちの生活において神様やご先祖様のお働きを感じたり考えたりする機会が次第に失われています。また、そうしたことに気付くことさえ、難しくなっているように思います。私たちは、自分に興味のあるものしか目に入りませんし、見えていません。このような放ったままの神棚ですが、会社には様々な多くの方々が出入りしています。しかし、置きっぱなしにされた神棚の現状は、この方々をお迎えするには誠にさみしく、申し訳ないご表情ではないでしょうか。
 子どものころ、毎朝母に連れられて教会に参拝していた私は、知らず知らずのうちに神様やご先祖様に感謝して生活することの大切さを教えて頂いたように思います。
 私たちは、授かっている命や人生を自分だけのものと思いがちです。しかし、その命は計り知れないはるか遠い昔から続いてきたのです。神様から授かり、ご先祖様から受け継いできた命なのです。その掛け替えのない尊い命をありがたく受け止めさせていただくことが必要だと思います。
 そのためにも、神棚に手を合わせ、お礼を申し上げる日々を過ごすことが大切なのではないでしょうか。すると、神様やご先祖様に守られているという安心感に包まれて、生かされている幸せを感じることが出来るのではないかと私は思います。

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