●先生のおはなし
「大地に植えたきゅうり」

金光教高蔵教会
田中有希恵 先生
私が小学生だったころの話です。2つ上の兄が学校からきゅうりの苗を持ち帰ってきました。小さな植木鉢に植えられたきゅうりの苗に小指程の小さな実がなっていました。それは小さな小さな実でしたが、トゲトゲも付いていて、とても可愛いきゅうりでした。
このきゅうりがどんなに大きくなるだろうかと楽しみに待っていました。でも、何日経っても、それ以上に大きくなりません。「このままでは枯れてしまう、どうしよう」と、私たち兄妹は心配でなりませんでした。
すると母が、庭の片隅の土を掘り起こし、きゅうりを植木鉢から庭に植え替えるように教えてくれました。私たちは一生懸命植え替えました。そしたら、どうでしょう。小さかったきゅうりが見る見るうちに大きく、立派な、そしておいしそうなきゅうりに育ったのです。
私たちのうれしさといったら、それはそれは大きなものでした。母はその大きく育ったきゅうりを持って、私たちを金光教の教会に連れて行きました。私の母は、毎日教会にお参りしていたのです。母が教会の先生にこのきゅうりの育ったあらましをお話すると、先生は大変喜んで下さり、きゅうりをご神前にお供えして下さいました。
私たち兄妹にとっては、大地の働きの偉大さに触れた、初めての出来事でした。けれど、母にとってはもっと大きな意味のある出来事だったのでした。
私の母は幼い頃に実の母親を亡くしました。中学1年生の時に新しい母親が来てくれたのですが、母はその新しい義母親になかなかなじむことが出来ませんでした。反発しながら大きくなり、高校を卒業する頃にはその義理の母との仲は険悪になっていました。
もう家を出たいと思い詰めていた頃、母は金光教の教会のことを知りました。
母は教会の先生に悩みを聞いて頂きました。親身になって聞いて下さった先生は、「人間には、肉親の親の他にも天地の親神様がいらっしゃるのですよ」と話して下さり、その親神様は人間の真の助かりと立ち行きを願って下さっていること、その親神様の働きを頂いて人間は生かされて生きていることを、優しく丁寧に教えて下さったのです。母にとっては、全く新しい神様との出会いでした。
義理の母との関係についても先生は、「生んでもらってもない親に育てていただくのは、当たり前ではありません。どんな小さなことでも、していただいたらありがたく思わなければなりませんよ」と言われ、そして、「あなたこそ、お義母さんに本当の娘と思ってもらえるような娘にならせていただきなさい」と教えられたのです。
お義母さんのことばかりを問題にしていた母には、その言葉が心に強く響きました。「お義母さんに本当の娘と思ってもらえたら、どんなにいいだろう」と思い、それからの母は教会に足繁く参拝し、真剣に教えを聞くようになりました。
それから5年が経ち、母はご縁を頂いて結婚することになりました。義理の母がせっせと嫁入り支度を調えてくれ、「式の時には泣けて仕方がなかった」と言ってくれたそうです。母は、その時、「本当の娘にならせていただけたのだ」と、思わず神様にお礼を申し上げました。あのまま義母親を憎んで生きていたら、どうなっていたであろうか。母は神様との出会い、先生との出会いに感謝し、ますます信心に励みました。
それから、母は2人の子どもを授かりました。教会の先生から、「自分が育てるということでなく、神様に育てていただきなさい」と言われました。母は私たち兄妹を連れて教会参拝に励みました。まだ私が乳飲み子だった時には、私をおんぶして、兄の手を引いて…、大きくなってからは2人の手を握って、1時間以上もかかる道のりを、雨の日も風の日も1日も休まず教会参拝を続けたのでした。
毎日、教会に参拝して、神様に祈り、教えを聞きながら、子どもを育てていくということが、母にとっては、「自分の力で育てるのではなく、神様に子どもを育てていただく」ということであったのだと思います。
そんなある日、母は大地に植え替えて立派に育ったきゅうりをもって参拝し、ご神前に供えていただいたのです。大地に植えられてから、人に食べてもらえるきゅうりになったということを通して、母は改めて、「神様に子どもを育てていただく」と言われた意味を深く悟りました。自分の小さな器、すなわち、このきゅうりの小さな植木鉢程の器で子どもを育てるには限界があります。神様に祈り、教えをいただきながらの子育ては、きゅうりを大地に植え替えることだったのだと、改めて思ったのでした。
今、私たち兄妹もそれぞれに結婚をし、子を持つ親となりました。私たちも母と同じ願いを持って子育てをしています。世間の価値観に振り回されたり、人と比べたりすることなく、一人ひとりの子どもの特性を伸ばしてやりたいと願い、そして土があらゆるものを吸収して豊かになっていくように、人生の苦難さえも肥やしにして、明るく元気に生きてほしいと願っています。