●先生のおはなし
「海を越えて届いた母の願い」

金光教筑前新宮教会
篠崎道開 先生
私が住む福岡県新宮町は玄界灘に面していて、その海岸には潮の流れにのって、東南アジア諸国からヤシの実が流れ着きます。このヤシの実はどこか南の島で育って風で落ち、潮の流れにのってやって来たのだな、長旅お疲れ様と声を掛けたくなります。また中国、韓国から生活用品なども流れ着き、海岸の掃除をしながら、少し前までは誰かのお役に立っていたのだ、ご苦労様でしたとお礼を言い、拾っています。
私が幼い頃のことです。母はよく私を自宅から歩いて数分の浜辺に連れて行き、こんな話をしてくれました。
「あなたは将来、進学や仕事でよそへ行き、そこでつらい思いをして助けて欲しいと思う時があるかもしれないね。でも、あなたがどこへいても、神様は付きまとって助けて下さるからね。助けてほしい時には海へ行きなさい。お母さんはあなたのことを、そして世の中の人々のことをこの海に向かって願っているからね。この海は日本中、そして世界中の国々につながっているから、お母さんがここから祈っていることを覚えておいてね」と、幼心に母の強い願いを感じていましたが、時と共に、いつしか忘れていたのでした。
それから20年後、私は金光教の教師となり、単身、海外布教の仕事で南米のパラグアイ共和国へ派遣されたのです。当初は、やる気満々で、どんなことも受け入れ、何でもやれると意気込んでいました。しかし、いざ現地で生活を始めると、言葉や習慣の違いに戸惑い、悩みやつらさを聞いてくれる友達もいなくて、現地の方々に布教していくことの厳しさと自分の未熟さ、生活をしていくことの大変さを思い知りました。
そんな生活が2年ほど続き、だんだん精神的にも落ち込んでいき、1週間誰とも会話をしないこともありました。仕事にも行き詰まり、帰国することも考えていたある日、ふっと海を見たくなりました。しかし、パラグアイは南米の内陸国で、海へ出るには東の大西洋か西の太平洋のどちらに行っても1500キロは離れています。私はチリ行きの長距離バスに乗り、ひたすら西へ向かいました。車内で出会ったチリ人の青年は、チリで捕れた魚をパラグアイまで運ぶ仕事をしていました。彼は、「日本の技術提供で養殖をしているサーモンは最高においしいよ! これも日本のおかげだ!」と笑顔で語ってくれました。
バスの移動は36時間。道中、荒涼とした大平原や広大な塩の湖を渡り、一面に広がる小麦畑や大豆畑を大きなコンバインで収穫をしている風景を見ると、この大豆たちは日本へ行くんだろうなと古里を思い出しました。ワイン産地のぶどう畑を抜け、しばらくするとアンデス山脈にある南米最高峰の山が見える国境を越えて、港町へたどり着きました。潮の香りが漂う港には、漁を終えたたくさんの船が泊まっていました。初めて見る景色でしたが懐かしい感じがしました。
山の方を振り返ると、バスで通ってきたアンデス山脈の真っ白い雪が夕日に照らされ真っ赤に染まっています。そして目の前には、どこまでも穏やかに広がる青い太平洋があり、この大海原の水平線のずっと先に、日本があるんだろうなと思いました。もしかしたら日本が見えるんじゃないかなと、何度もその場で飛び跳ねてみましたが、見えるはずもありません。
しばらく、ボーッと海を眺めていると、突然、20年前に新宮の浜辺で母が幼い私に話してくれた言葉が思い出されたのです。ああ、今も母はあの海から私のことを願ってくれているんだろう。そしてその母の願いは、太平洋を渡り、私が今立っているこの南米の海岸まで流れ着いているのだと気づきました。
「自分がどのような状況におかれていても、世界中どこへ行っても、神様は見守ってくれている。そして母から祈られている自分がいる。祈りの中に私はいるのだ」と。これ程心強いことはありません。私はこうして思いを新たにすることが出来たのでした。
現在、南米赴任の任期も終わり、今は福岡県の教会で仕事をさせていただいています。2歳になる娘と一緒に近くのスーパーへ買い物へ行くと、娘は知っている商品や野菜や魚などを見つけ、大きな声で自慢げにその名前を言っています。
店内に並んだ商品の原材料の生産国や加工国を見るとアメリカ、中国、東南アジアはもとより、南米、ヨーロッパからというものまであります。遠くの国の誰かが育て、加工をして、多くの人の手を経て、ここまでやってきているのです。私は娘に、「これは海の向こうの遠い国からやってくるんだよ。ご苦労様って言いたくなるよね」と話します。なぜならば、これらの商品を見ていると南米パラグアイで出会った人々のことを思い出すからです。
時々、私は浜辺へ行き、海へ向かって、いろんな国で出会った人々のことをお祈りします。すると、みんなの懸命に働いている姿と笑顔が浮かんできます。
そして、母もずっとここから私のことを祈ってくれていたんだ、と改めてありがたく思えてきます。母には及びませんが、幼い娘をはじめ世の中の人々のことをこの海から願っていきたいと思います。