シリーズ「あなたへの手紙」第3回「①運命は決まっている/②何がありがたい?」


●シリーズ「あなたへの手紙」
第3回「①運命は決まっている?/②何がありがたい?」

金光教放送センター


 皆さん、おはようございます。兵庫県淡路島あわじしまにあります、金光教志筑しつき教会の地田治美ぢでんはるみです。
 まず初めは、16歳男子高校生、匿名でミッキー君から頂きました質問です。

 「学校で友達と進路の話をしている時、友達が〝どうせ運命は決まってるからな〟と、投げやりな感じに言った言葉が、なぜか妙に頭について離れません。
 卒業後の進路について悩んでいますが、自分なりに夢も抱いています。もし運命が決まっていて、その夢はかなわないと決まっているとしたら、努力しても報われないんじゃないか…と、そんなことまで考えてしまいます。
 どうなんですか? 運命って、あらかじめ決まっているんですか?」

 このような質問です。

 ミッキー君、ありがとうございます。
 「運命」と言えば、「運命的な出会い」「運命の悪戯いたずら」といった言葉が浮かんできますが、「運命を愛し、運命を生かす」生き方をされた、金光教の先生がいらっしゃいます。
 その先生は、幼い頃事故に遭って、両手と片足を失います。そのことを苦にして、いのちを絶とうとしたこともあったそうです。
 ところが先生は、「手が無いとか、足が無い状態を不幸せというなら、私は一生涯、不幸せを無くすことは出来ません。両手、片足は失ったけれど、まだ右の足が一本残されています。まだ私には幸せが残されています」と受け止めるようになっていかれます。
 そして、お母さんの計り知れない愛と、厚い祈りに支えられてきたことが励みとなって、生きがいを抱き、惜しみない努力を重ねていかれました。着物の帯とはかまのひもを結ぶこと以外は、手伝ってもらわなくても、ほとんど日常生活が出来るようになったんだそうです。脇の下にお箸やスプーンを挟んで食事をしたり、鉛筆を口にくわえたり足に持ったりして、字も書いたんだそうです。
 右足が有ることを、ありがたいことだと幸せを感じながら生きていかれました。
 「運命を愛し、運命を生かす」というのは、先生の生き方や考え方がつづられた本のタイトルです。その本の中に「運命」についてこう書かれています。
 「運命は初めから定められているのではなく、お互いの心のうちから生み出し、創り出していくものだと思います。運命の運は、はこぶと読むのですから、運命は定められているのではなく、心で運ぶものだと思っています」と、こんなふうに書かれています。
 ミッキー君は今、進路についてあれこれ悩んでいるんですね。これから先もまだまだ大きな壁に当たったり、困難に出遭うことがあるかもしれません。運命のせいなのかと心を惑わされることなく、あなたの心で運命を生み出し、創り出して下さい。
 心の運び方次第で、幸せを感じたり、ありがたいと思えるようにもなっていきます。
 どうぞ今抱いている夢を大切にして下さいね。そして喜びと感謝の心を大切にしながら、夢に向かって力強く進んでいって下さいね。
 もし、もっと話を聞いてもらいたい、もっと話を聞いてみたいと思うことがあったら、一度お近くの金光教の教会を訪ねてみることもお勧めします。

 次は、マミさんという30代の女性の方からの質問です。

 「私は昨年、金光教を信仰している夫と結婚しました。夫に勧められて、金光教の教会へお参りしています。
 お参りの方々が、『ありがとうございます、ありがとうございます』と、口癖のように言っていますが、何がありがたいのでしょうか?
 夫や教会の先生には、今更恥ずかしくて、なかなかストレートに聞けません。教えてもらえますか?」

 このような質問です。

 マミさん、正直な素直な気持ちをお寄せ下さいましたね。
 教会にお参りされる方の中には、病気が治ってうれしくありがたくて、「ありがとうございます」とお礼を言われている方や、願い通り就職が決まって、お礼のお参りをされている方もいらっしゃるかもしれません。
 状況が良くなったり、お願いしていた事柄が成就していくことは、とてもうれしいことで、ありがたいことに違いありません。
 けれど、お参りされている方々は、まず、今日のいのちを頂いて、朝目覚めさせていただいたこと、そして、いのちを頂いてお参りが出来ることを、「ありがとうございます」と、神様にお礼を言われていると思います。
 金光教にはこういう歌があります。

 「びしいのちあるありて今日も目ざめたり目ざめしことはありがたきかな」

 「賜びしいのち」というのは、神様から賜った生かされて生きるいのちです。
 生かされて生きるいのちを頂いて、朝目覚めさせていただいてこそ、喜んだり怒ったり、かなしんだり楽しんだりという人生を歩むことが出来ていきます。
 マミさんは夫婦げんかをすることがありますか?
 私は時々やっちゃいます。ささいなことなんです…例えば、夫が仕事から帰ってきて、部屋に入って靴下を脱ぐ、その靴下を放り投げたままにしていることに腹を立て文句を言うと、言い返されてけんかになるとか…でも、けんかが出来るのも、夫と私、それぞれお互いの今日のいのちがあってこそなんですよね。
 朝目が覚めて、「ありがとうございます」という、「いのちのお礼」が今日一日の始まりです。マミさんも、ご主人や教会の先生と一緒に「いのちのお礼」に取り組んでみて下さいね。

タイトルとURLをコピーしました