おじいちゃんは神様だったね


●こころの散歩道
「おじいちゃんは神様だったね」

金光教放送センター


 いやぁ、びっくりしました。偶然ってことはあるものですね。
 先日、僕は出張で新幹線に乗る予定だったのですが、指定の列車の時刻よりずいぶん早く駅に着いたので、すいていたら乗ろうかな、なんて軽く考えて自由席の列に並んでいたんです。思ったよりたくさんの人が並んでいましてね。やっぱり座れないかなぁ、と思いながら後ろを振り向いたら、もう僕の後ろにもたくさんの人が並んでいました。
 よし、もう指定の列車まで待とうと決めて、列を離れようとしたら、僕の後ろに並んでいた人に声を掛けられました。なんと、大学時代の友人だったんです。大学時代は結構、親しくしていて、卒業してからもしばらくは時々会ってちょっと一杯、なんてこともあったやつなんですが、それから何となく会わなくなって、本当に久しぶりの再会となりました。新幹線は満員でしたが、乗り込んで、立ったまま、2人で話しながら、「またこれから会おうや」と別れたんです。
 たまたま早く駅に着いて、たまたま自由席に並んで、たまたま後ろを振り向いただけなんだけど、なぁんて考えると、ちょっとしたことで運命が変わることもあるよな、と思いました。実は、うちの父と息子にも、すごいたまたまっていう話がありましてね。

 もう30年程前のことです。僕の息子が1歳の誕生日を迎えたすぐのころなのですが、当時、息子はヨチヨチ歩きを始めたばかりで、一番目が離せない時期でした。
 息子は階段が大好きで、すぐ2階に行きたがりました。1人では危ないので、必ず誰かが手をつないで階段を上がり、上がってしまっても危ないので、上がりきった所に柵を付けてありました。
 ある日の夕方も、妻は2階で洗濯物を畳みながら、息子を遊ばせていました。当時の我が家は昔風の建物で、2階には長い廊下がありました。妻はふすまを開け放して、廊下を行ったりきたりして遊んでいる息子を見ながら、たくさんの洗濯物を畳んでいたのです。
 その時、息子が階段のそばまで行ったので、妻は手を止めて見守っていたのですが、それでも柵から離れないので、危ないと思って、走り寄ろうとしたら、どうした弾みか、その大切な柵が外れて、息子が真っ逆さまに階段から落ちてしまいました。
 「あっ!」と思ったけれど、階段のてっぺんから、落ちていく我が子を見ているしかなかった、スローモーションの映像のようにゆっくり弧を描いて落ちていった、ゴロゴロと階段にぶつかりながら落ちたのではなく、階段の上をフワッと飛ぶように落ちていって、「もう駄目だ」と思った、と妻は言っていました。
 ところが、その時、何とも不思議なことに、階段の下を同居している僕の父がたまたま通り掛かり、落ちてくる子どもを両手で受け止めた、待ち構えていたように、子どもをすっぽりと胸の中に受け止めたというのでした。
 息子は泣きもせず、さぞ楽しかったとでもいうように「キャッ、キャッ」と笑い、父もニコニコして腕の中の孫を見て笑い、何もなかったように、時は過ぎていきました。一つ間違えれば、大騒ぎになったであろう時間が、何事もなく静かに過ぎていったのでした。
 夜になって妻からその話を聞いた僕はびっくりし、「良かった、良かった」と言い合い、「親父はすごいな」と何度も何度も語り合ったのでした。父はそのことについて多くを語らず、ニコニコとしながら、「あの時は本当にびっくりしたなぁ、良かったなぁ」と言っていただけでした。
 でも、後から考えても、どうして父が階段の下をたまたま通り掛かったのだろうと、僕たちはその話が出るたびに不思議がりました。あまりに出来すぎた偶然だと。それにうちの父は、あまり丈夫な人でなく、当時は60代半ば。しかも右腕は若いころの病気がもとでひじから下が曲がったままなのでした。そんな体で、よく落ちてくる子どもを受け止められたものだ、とも不思議がっていました。

 その父も亡くなり、階段から落ちた息子にも子どもが生まれたころのこと、妻は古い本棚を整理していて、父の1冊の日記帳を見付けました。それはちょうど、あの階段から落ちてくる息子を、父からすれば孫を、受け止めた時のことが書いてある日記帳でした。
 その日を見付けて、読んでみると、そこには、「声を聞いて駆け付けたら、孫が階段から落ちてきた、私の腕にすっぽりと入ってきた。神様のおかげ受け、御礼おんれい」と短く淡々と書かれてありました。
 妻はあまりの突然に声も出なかった、ぼうぜんと息子が落ちていくのを見て立ちすくんでいた、と言っていたのに、父は声を聞いたと書いていて、じゃあ、大きな声をあげたのかなぁ、と妻は言い、それにしても、声を聞いて駆けつけて間に合うものだろうか、とますます不思議な思いになりました。

 何かの声に導かれて、父が階段の下をたまたま通りかかった、そしたら可愛い孫がすっぽりと胸に入ってきたという、その話を思い出すたびに、僕たちは息子に言い聞かせるのです。
 「君にとって、おじいちゃんは本当に神様だったね」と。そして僕たちは自分に問い掛けてみるのです。あんなふうに、大事な子どもや孫を助けられる自分になれるだろうかと。

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