●信者さんのおはなし
「神様に身を任せて」
金光教放送センター
(ナレ)現在、京都府にお住まいの、小林けいさんは、70歳のご婦人です。今まで、つらく苦しい時期もありましたが、その都度神様におすがりして乗り越えてこられました。
けいさんの信心は、おじいさんから始まります。おじいさんに手を引かれ、教会にお参りしていた当時を懐かしく振り返ります。
(小林)何をしても子どもを褒めるっていうかな。くささないでね、そういう頭ごなしに「悪い悪い」言うて私ら孫に怒るのも、怒るんじゃなくて、「お利口さんやからやめような、お利口さんやからやめような」とかよう言われて。おじいちゃんに怒られた記憶いうのはなくてね、いつも何か何をしても褒められたなあとか、そんな記憶があるんです。
(ナレ)一緒に教会へお参りしても、おじいさんの周りで遊ぶけいさんを、叱りもせず、一心に神様に祈る姿が、幼いながら「優しいおじいさん」「立派なおじいさん」と感じたのだそうです。
そんなおじいさんの信心は、けいさんのお母さんにも伝わります。
(小林)私、小さい時わがままでしてね。今になってね、よく分かるんですけど、お母さんがずっと辛抱してきてくれていうか、「思ったことをすぐ言うちゃならん。もう1日辛抱しいな。そうしたら、ちょっと我慢出来る。3日経てばもう忘れるよ」とか言ってね。「今日言うことは、明日言いなさい」いうことはよく言われたことが記憶にものすごう残ってます。よく母が口癖に言ってたのはね、「不足言うちゃならん」いうてね、「ありがたいことをまず思わしてもらわんといかん」ていうことをね、母も実践してましたから。「自分は我慢してもね、人には良い物あげなさい」。自分はぼろを着てても、そういうのを実践しててね。とにかく人には一生懸命、人には、自分は神様からおあてがい下さるんやと言う。「私はな、不自由せんな」とか言うてね。老後でもね、次々次々服を皆さんから頂いたりしてね。自分が買わなくても時代に合うたものを身に付けさせてもらって、自分が買わんでもええいうことでした。
それかいうて、ずっと我慢して我慢して、しんどうなるほどの我慢じゃなくて、すぐその場ですぐ神様に心向けていってたんやろうかな。「今このように思えます、何かつろうございます」いうて、神様に向けて言ってたんかなとか、今思ったらそのように思いますしね。
不足を言わない。最後の最後までね、「ありがとうな、ありがとうな」って、よう言うてました。
(ナレ)おじいさんは91歳で、お母さんは100歳の大往生でした。そんな2人の影響か、信心は、自分を犠牲にすることではなく、その先には周りの人々の喜ぶ姿があることに自然と心引かれ、自ら教会へお参りするようになりました。
やがて結婚し、3人の子どもにも恵まれましたが、子育てで悩むこともありました。ご主人は仕事で忙しく、転勤ばかりで相談出来る人もいません。そんな時は教会の先生に相談に乗ってもらいます。その悩みを先生は神様にお願いされ、けいさんに言葉を掛けられます。
(小林)「起こり得ることは皆、神様の思し召しのまにまにとして受け取らせてもらって下さい」。起こってくることはすぐ神様の思し召しやと言われてね。今やったら分かるんですけど、その頃は訳分かんなくて。これが神様の思し召しか。そんなピンとこなくてね。それでもね、有難く思わせてもらわんといかんのやなとか思って、分からせてもらったことあるし、「ああ、やっぱりこういうふうに自分が思わせてもらわんといかんのやな」と思いましたけどね。
(ナレ)先生は、神様からけいさんに掛けられた願いを話されると共に、温かく見守り、優しく励ましていかれました。
やがて、3人の子どもたちも成人していきます。しかしある日、長女が重い病気を患います。大きな不安に襲われ、居ても立ってもいられず、先生に訴えかけました。
(小林)最初に先生にお取次いただいた時にね、「小林さん、大丈夫やからな」言うてね。「マキちゃんのことは心配せんでええからな」言うて、その一言がいまだに忘れられないんです。そうしてここまでね、結婚までさせてもらえるようになったということがね、とっても私有り難いことですしね。考えられない自分の願い以上のね、神様はおかげを下さったんやなと思って。自分の願ってる以上のものをね、神様は用意して下さるんやなと思います。
(ナレ)教会の先生の力強い一言で、不安に包まれていたけいさんは救い出されました。病院での治療を受けつつも、全快するまでには長い年月が過ぎていましたが、教会の先生の言葉が大きな支えになりました。現在3人のお子さんたちは、それぞれに家庭を築いています。では、いつも忙しく働いていたご主人は、信心をどのように感じていたのでしょうか。
(小林)あのね、自然体っていうか、無理強いをしないとかね。教えも自然やって言うんですね。「こうしなくちゃいけない、ああしなくちゃいけない」とかいうの、あんまりないでしょう。自然体ていうのとね、「あの人を連れてこなくちゃいけない」「人を集めんといかん」とか、そういうこともないですよね。自然体やから、いうこともあるし、自然の道理に基づいた教えですよね。それが主人ね、「金光教やな」というふうに思わせてもらったんやと思いますね。
(ナレ)けいさんが信心を押しつけられたことがなかったように、ご主人にも自然と伝わり、定年退職した今では、毎日一緒に教会に参拝されています。
一心に神様に祈るおじいさん、いつも、「ありがとう」が口癖のお母さん。けいさんはその姿に支えられながら、今日も、心元気に過ごされています。