●信者さんのおはなし
「サラリーマンの道を求めて行きなさい」
植村博昭 さん
「サラリーマンの道を求めて行きなさい」
大学を卒業し、鉄鋼マンとしての道を歩むことが決まった時に金光教銀座教会の恩師から頂いた忘れ難いお言葉です。以後、このお言葉は、今日、企業人教育に携わる私の課題として、今も新たに求め続けている大切な問いでもあります。
長い人生には、様々な重要な節目の時があります。それはその後の人生の岐路でもあります。特に就職は、未来の自分の進路、そして生き方を決める重大な課題として迫ってまいります。
その重大な岐路を自分の限られた知識・経験・興味だけを物差しに、軽々しく決めるわけにはいきません。就職に際して確固とした基軸となる目標もなく、安易に職業を選ぶことは、自分の一生を貫く生き方の土台が揺らぎ、一貫した熟練の技や力も身に付かないのではとの危惧を感じたからです。その大切な進路決定を、私は神様の思し召しに素直にお任せしようと決心しました。
私の両親は、恩師を、「親先生」と仰ぎ、戦後の困難な生活状況の中を何事も神様にお願いし、親先生に何事もお伺いしながら生活してまいりました。その両親の信心生活の姿を見て育った私は、人生初の自分の運命に関わる重大事をお取次いただくことにしたのです。
とは言え、私にも当時、一青年としての夢がありました。大学の教養学科に学び、学問の深遠さに憧れ、出来れば学者にとの夢から懸命に学業に取り組み、教職課程も修了し、教師の道をとも漠然と考えておりました。
一方、私は長男でもあり、就職して経済的に自立し、早く両親を安心させたいとの願いも強くあり、迷った揚げ句、神様の思し召しに全てを委ねる道を選び取ったわけです。そして自分の将来の処し方を白紙の心でお取次願いました。神様にお願いして下さっている間、心を透明にして待つ身の引き締まるような緊張感は今も忘れられません。その結果、鉄鋼・化学等重工業分野へとのご教示を頂きました。
よく、「企業は人なり」と申しますが、企業紹介にあった「人を大切にする」という言葉が金光教の、「実意を込めてすべてを大切に」という教えに通じると感じたのが機縁で、未知の世界というべき製鉄会社を志願し、入社させていただきました。こうしたご縁から、以後北海道室蘭を初任地として今日までの45年余りの鉄鋼マン人生が、そして恩師からの課題である「サラリーマンの生き方」を求める生活と研さんの日々が始まったのです。
鉄鋼マンとなった私は、事務系社員で鉄の専門技術もなく、不安がありました。それを室蘭の鉄作りの基礎を固める三交替実習体験がぬぐってくれました。三交替実習とは一日を3つの番に分け、一週間毎に交替する体験実習です。
特に夜勤の明け方前の身を貫く北海道の寒さと、目の前を流れ行く金色に輝く銑鉄の厳かさが今も忘れられません。鉄作りとは何か、という原点を、現場で働く先輩方の指導で、汗にまみれ無我夢中で体を動かして学んだことは、掛け替えのない体験でした。
今、私の手元に古びた一冊のノートがあります。室蘭での研修記録です。その中に、「単純な作業にも厳然たる目的、意義がある。それを自覚することによって、自分のなす動作に誇りが湧いてくる。そこにこそ、今私が感じている作業の楽しさの源がある」との記述があり、そこに指導員の、「実習でつかんだこの経験を長く忘れずにいて欲しいと願う」との言葉があります。こうした先輩から後輩へのきめ細かな指導があるからこそ、鉄鋼マンが長い時間を掛けて一人前に育つのです。
その時から45年余。私は今も企業人教育の現場に立たせていただき、様々な人と業務、立場の体験を通じて培ったこの三現、現場・現物・現実を土台にした丁寧な人作りこそ育成の基本だと思うのです。現役時代の総務・組織・システム・能力開発・環境管理などの業務体験は、常に次の業務への「準備」であったと今感じています。長い目で自分を育てること。今の若い方もぜひそういう育ち方をと願っています。
私をこうした人生に導いて下さった原点こそ、遠い日のあの恩師のお取次なのだと今心から感謝せずにはおれません。
今日、人間関係などの複雑さからか、心を病む人々の報道に接するにつけて、私はここにその悩みを喜びに変えて下さる道、自分を主語にせず、神様を主語に心の親と頂くお取次の道があることを知っていただき、共に歩んでみませんかと申し上げたいのです。
「あなたの生き方は、真っ直ぐの一本道」と定年後のある日、室蘭時代から私を支え続けてくれた妻がしみじみ申しました。私が一本道を歩み得たとすれば、妻始め家族や出会った方々の支えのおかげであり、その根底にある天地のお恵みと両親がご縁を頂いたこの金光教のお取次の祈りに厚く御礼申し上げずにはおれない私であります。