●信者さんのおはなし
「お世話になり続けての今日」
金光教放送センター
新潟県新潟市。日本一長い信濃川が海に注ぐこの街に住む吉田としさんは、昭和6年生まれの82歳。すらりと若々しく、上品で、落ち着いた笑顔が魅力的です。金光教を信心していた吉田家へ嫁ぎ、信心を進めて来ました。歯科医院を開業していたご主人が現役を退いた後、秋田県から夫婦で新潟市に転居し、暮らしています。
歯科医の妻として、3人の子どもの母親として、夫の病気や息子の進学のことなど、これまで、いろいろなことを乗り越えて来たとしさん。乗り越えて来たことの一つひとつが、穏やかで幸せな、今の生活に繋がっていると、心から感じています。
結婚の時にも、こんなことがありました。婚約からわずか2カ月後の昭和24年2月、秋田県で季節風による大火災が発生、2500戸もの建物が、一夜にして焼失したのです。としさんの実家も、全てを失ってしまいました。「花嫁修業も嫁入り支度も出来ないのでは、申し訳がないから…」と、縁談の撤回を申し入れると、「体一つで来てくれたらいい。娘として、育てますから」と、義理のお母さんが、温かく受け入れてくれ、その年、18歳で結婚したのです。
嫁ぎ先の吉田家は旅館を営み、ご主人は、同じ敷地内に歯科医院を開いていました。としさん夫婦の他、両親と祖母、兄弟たちも同居する11人の大家族で、住み込みの従業員もいました。
結婚式の後、花嫁姿のまま金光教二ツ井教会へ、生まれて初めて参拝したとしさんは、吉田家の人たちが、金光教の信心をしていることを、この時初めて知りました。
吉田のお義母さんは、ただの一度も、としさんを怒ったり、嫌味を言ったりすることはありませんでした。家庭内の様々な苦労に負けず、一途に家を切り盛りするお義母さんの姿に教えられ、導かれていったとしさん。けれども、心からの信心が出来るようになったのは、思い掛けない病を患ったことが、きっかけでした。
昭和35年、29歳の時、結核と診断され、1年間の入院を言い渡されてしまいました。結婚後、この頃までに、夫の兄弟なども進学や就職で家を離れ、祖母は世を去り、旅館も廃業していました。一方、としさん夫婦は、男の子2人、女の子1人を授かって、男の子2人は、小学生になっていました。女の子は、まだ2歳のやんちゃ盛りで、可愛さも一入。子どものお世話と歯科医院の経理は、夫の妹に任せました。
入院の日、としさんは、後ろ髪を引かれるような思いで、子どもたちを置いて家を離れ、遠い町にある大きな病院の小さな個室に入りました。
その夜のことです。寂しいとも、悲しいともつかない心持ちがして眠れません。その時、ふと手に取って開いてみたのが、お義母さんが持たせてくれた金光教の本でした。
「今、天地の開ける音を聞いて目を覚ませ」
聞いたこともない言葉が目に飛び込んできました。神様に頭をバーンと何かで叩かれたような衝撃を受け、知らぬ間にベッドの上に座り直して手を合わせるとしさん。その目からは、止めどなく涙が流れ出るのでした。
「神様は、素敵な家族の元へ嫁がせて下さった。仕事に熱心で、優しく真面目な夫やその両親、大勢の家族に大事にしてもらい、可愛い子どもたちも授かった。こうして病気をしても、全てを任せて治療を受けている。こんなにおかげを頂いていたのだなあ。なのに、少しもそれを、分かっていなかった。神様、申し訳ありません」。こんな思いが、心の底から湧き起こってきたのです。
実家のお母さんが、としさんの好みそうな食べ物を用意しては、訪ねてくれ、教会の先生の手紙にも励まされながら治療を受けました。そして、僅か5カ月で退院することが出来たのです。それ以来、としさんは、毎朝、毎晩、真剣に教会にお参りするようになりました。
その後も、お世話になった夫の両親を看取り、2度に及ぶご主人の大きな手術も、子供たちの成長も、神様のお働きの中で、いいように、いいように展開してきました。歯科医師となり、新潟で開業した息子さんの提案で住まいを処分し、先祖代々のお墓と共に、新潟へ移ってはや9年になろうとしています。
今、自宅の神棚に、
「すべて世話になりつづけ来て今日をある老いわが今のいのちなりけり」
「すべて世話になりつづけ来て今日をある老いわが今のいのちなりけり」
という、金光教の前の教主の歌を掲げているとしさん。「年を取って来ますと、このお歌が、ずしんときます。『すべてに礼を言う心』を、私は、このお歌から頂きました」と、話します。
毎晩、夕食の片付けを終えた後、流しやお鍋、食器に向かって、「食事のおかげで、健康な心と体を頂き、後始末も済ませました。今日も元気で食事を作らせて頂きありがとうございました。神様御礼申し上げます」と、こんなお礼のお祈りをするのが、としさんの日課になりました。としさん流の、「すべてに礼を言う心」の現れです。
今、としさんの一番の楽しみは、毎日、片道20分ほど歩いて金光教新潟教会へ参拝し、先生と信心の話をすることです。縁のある人たちの名前を一人ひとり唱え、神様に毎日祈る取り組みも、大病を患ったころからずっと続けています。
「神様は、どんな一日を、私に与えて下さるのだろう」と、今日もとしさんは、ワクワクした気持ちで、人生の道を、力強く歩んでいます。