大きな温かい懐に抱かれて


●信者さんのおはなし
「大きな温かい懐に抱かれて」

金光教放送センター


 美しい夜景で知られる、北海道函館はこだて市に暮らす佐藤真也さとうしんやさんは、昭和7年生まれ、81歳を迎えました。
 バスに揺られ40分掛けて、函館東部はこだてとうぶ教会に毎日元気に参拝しています。午後2時からのお祈りの時間にお参りして、心を鎮め、自分自身を見つめながら、神様と向き合う時間を大切にしています。夕食準備を始めるまでの午後の時間を、教会で過ごすのが日課になっています。
 金光教の信心をしていた両親は、佐藤さんが4歳を迎えるまでに亡くなり、お父さんの兄弟に育てられました。高校生のころ、教会の一室を借りて住んでいた伯母さんの元をよく訪ねていたため、教会は、我が家のような憩いの場所でした。
 函館に生まれ育った佐藤さんは、高校を卒業して横浜の会社に就職します。お見合い結婚した奥さんの志保子しほこさんは、十和田湖とわだこでガイドをしていた、スタイル抜群の秋田美人。両手で抱え上げ、軽々とお姫様だっこが出来る、華奢きゃしゃな体付きでもありました。志保子さんにとって、横浜伊勢佐木いせざきちょうでの都会の生活は、見るもの、食べるもの、色々なものが驚きの連続で、毎日楽しく過ごすうちに、心も体も豊かになって、一時は体重が2倍近くまでなったこともありました。
 佐藤さんは、志保子さんと毎日幸せに過ごしながら、遠く離れてしまった教会の先生との文通を楽しみに、また励みにしていました。仕事のことや、その時々に思ったことなどをしたためました。父親のように慕う先生は、叱ることもなく、否定することもなく、全て受け止めてくれました。北海道の大地のような広い心の、優しい先生から返事が届くことを、いつも心待ちにしていました。東海道五十三次のはがきを毎日1枚ずつ届けたことも、心和む思い出の一つです。年に1、2度函館に帰省した時には必ず教会に参拝して、先生と触れ合う時間も大切に過ごしました。
 佐藤さんをいつも温かく迎え入れ、包み込んでくれる先生に、いつしか大きな温かい神様の懐に抱かれているような、そんな安心感と信頼を覚えるようになっていくのでした。
 平成9年、定年を迎え、意気揚々と函館に帰り、教会への日参を始めました。志保子さんも函館での新たな生活を楽しみにしていました。
 翌年、函館での生活にも慣れてきたある日のこと、いつものように参拝に向かおうとする佐藤さんに、志保子さんが、「魚を買って帰ってきて」と頼みました。参拝を済ませた佐藤さんは、生きのいい、おいしそうな魚を買い求め、志保子さんがうれしそうに喜ぶ顔を思い浮かべながら、家に帰りました。家に入ると、何となくいつもと様子が違っていました。志保子さんの姿が見当たりません。奥へと進み、寝室のベッドの上で横になっている志保子さんを見付けました。
 魚を買ってきたことを告げながら、顔をのぞき込みますが、返事がありません。返事が無いどころか、息をしていませんでした。
 「えっ!? 死んでいる!? まさか…」
 とっさに志保子さんの体を揺すり、無我夢中で何度も名前を呼びました。目を覚まして欲しいと手を尽くしましたが、思いは届きませんでした。
 志保子さんは60歳。これから年金をもらって、更に楽しみが増えるという時でした。
 あまりにも突然で、衝撃的な信じ難い出来事に、誰もがあたふたと動揺して取り乱すはずです。ところが佐藤さんは、確かに衝撃は受けたものの、なぜか心が落ち着いていきました。自分でも不思議でした。更に驚いたことに、ありがたい思いさえ湧いてきたのです。
 志保子さんと過ごした日々を振り返ると、佐藤さんは幼いうちに両親を亡くしてしまったこともあって、「相手が死んでしまったら何もしてあげられない、生きているうちに精いっぱい尽くそう」という思いで過ごしてきました。志保子さんに思いを寄せながら、一生懸命に尽くし、悔いのない毎日を送ってきました。
 時には、嫌なこと、腹が立つこと、殴ってやりたいとまで思うこともありましたが、そんな時こそ神様と向き合いました。「きっと神様は、このことを通しておかげを授けようとして下さっている。解決していくようにと願って下さっている」そう思って一つひとつ乗り越えてきました。
 そして、寄り添い合い、支え合い、共に生きている大切な命が終わりを迎えてしまう時は、どうか痛みや苦しみがなく、静かに、穏やかであって欲しいと願っていました。
 志保子さんの幸せそうな、穏やかな顔を眺めているうちに、いつの間にか佐藤さんの心は、先生との触れ合いを通して感じてきた安心感に満たされていました。さらに、先生の声が聞こえてきたかのように、「すべて神様のおかげの中でのことなんだ」と、ありがたい思いへ導かれていきました。
 そして、「志保子は神様の慈しみを受け、神様の元へ帰っていくんだ。これからも共に、大きな温かい神様の懐に抱かれていることに変わりはない」と、次第にそう思えてきました。安らぎに満ちた穏やかな心の中に、「ありがとうございました」と、お礼の心が湧いてきたのでした。
 金光教では、「人間は、おかげの中に生まれ、おかげの中で生活をし、おかげの中に死んでいくのである」という教えがあります。60歳という、まだ若くて早いと思える別れでしたが、佐藤さんはこの教えを実感して、志保子さんと過ごした日々を、いつもそっと胸に抱き、お礼の心を大切に過ごされています。

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