梅雨の晴れ間


●先生のおはなし
「梅雨の晴れ間」

金光教湖北こほく教会
井上宗一いのうえむねかず 先生


 数年前の出来事で、当時17歳の秋子あきこさんという女の子のお話です。彼女は、福祉関係の学校へ通っていました。
 ちょうど梅雨の季節に入ったころ、福祉施設での3週間の実習がありました。実習初日のこと、秋子さんは、担当して下さる職員の方にごあいさつをし、「何をしたらいいですか」と尋ねました。
 実習生は、たとえどんなに必要なことと分かっていても、一旦職員に尋ね、その指示によって動かなければならないと固く約束事が決められています。その指示を仰いだのでした。
 ところが、秋子さんの問いかけに対して「どいて、邪魔!」と言われてしまったのでした。
 お邪魔にだけはならないようにと気にしていただけに、この一言にショックを受け、その日の実習を何とか終えて家に帰ると、今にも泣き出しそうな顔でお母さんに言いました。
 「明日から、行きたくない」
 何とかなだめられたものの、足取りも重く施設に向かう秋子さん。
 そんな中、施設に入所しておられる年齢85歳くらいの奈津江なつえさんという女性が、秋子さんに声を掛けて下さり、2人はお話するようになりました。じっくりと会話をするのも大切な業務、立派な実習です。秋子さんは、すがるような思いで奈津江さんとの会話を大切にしたのでした。
 こうしてようやく居場所を見つけた秋子さんが、奈津江さんのそばにいると、奈津江さんは俳句が好きだとおっしゃり、次の一句を読まれたのでした。

 「若き子と 俳句の話 梅雨晴れ間」

 若き子って自分のことだぁ。と、うれしくなった秋子さん。そして彼女はひらめきました。実は、この実習中の課題として介護支援の計画書を作成し、その立てた計画を実施しなければならないことになっていました。この計画書はその人その人にあったリハビリのような計画書です。
 奈津江さんは、少し手が不自由で、字を書くことが苦手でした。得意の俳句を、手帳に書き付けておられるのですが、手が震えて、しっかりと書けていません。秋子さんは、そこで思い付いたのです。奈津江さんに好きな俳句作りを通して手のリハビリをして頂こうと。
 担当職員のアドバイスも受け、施設の了解のもと、課題のリハビリプランを実施することになりました。「グッパ、グッパ」と手のひらを閉じたり開いたりする手の運動もあります。そして、俳句を作り、紙に書く。手が震えて字を書くことがだんだんと出来づらくなっている奈津江さんだけの特別プランの始まりです。
 さて、秋子さんは、もう一つ別の計画を立てました。それは、奈津江さんが作る俳句の一句一句に、挿絵を添えた俳句集を作り、実習の最終日に差し上げたいというものでした。
 ところで、肝心の俳句の方ですが、始めた当初は順調だったものの、奈津江さんもなかなか一句が浮かばなくなってきました。何とか俳句が作れるように秋子さんも祈るような気持ちでサポートするのですが、どうもうまくいきません。
 思うように俳句作りも進まないまま、2週間が過ぎたころ、いつものように奈津江さんの部屋へ向かうと、職員と奈津江さんの会話が聞こえてきました。
 「実習生の子と、俳句を作っているんですね」と職員が尋ねると、奈津江さんが次のように返事をしたのです。
 「あれも、しんどいんよ」
 秋子さんは部屋の外で聞いてしまったのでした。
 奈津江さんのためのリハビリプランのはずが、つい俳句集のことを意識するあまり、いつの間にか自分のための支援プランのようになり、その焦りからか、かえって奈津江さんに負担が掛かっていたようです。
 家に帰り、秋子さんはお母さんに話しました。
 「お母さん、今日聞いてしまったの。あれもしんどいって」
 そう話すと、秋子さんは、涙が止まらなくなってしまったのです。その様子を見てお母さんは言いました。
 「そうだと思うよ。一句考えるって大変なことよ。あなたも一生懸命だけど、その方も一生懸命よ。この前、一緒に教会にお参りした時、先生が『何事も無理はいけません。我を出さず、神様に任せてみましょう』って、みんなに話しておられたでしょ。実習中に俳句が8つ揃わないのなら、これまでに作られたものもあるだろうから、それらを見せてもらったら」
 秋子さんは考えました。
 「奈津江さんに無理をさせて、自分のことしか考えてなかったのかも?」
 実習課題を意識するあまり、奈津江さんの気持ちを本当に考えられていなかったこと。毎日俳句を作ることが大切なことではなく、奈津江さんが本当に喜べることが必要なんだということなど。そして、奈津江さんとの実習が、お互いにとって本当に良いものとなるよう、神様にお祈りし、お任せしようと決めたのでした。
 秋子さんもようやく顔を上げ、前を向くことが出来、相手の気持ちに寄り添った無理のないものとなりました。秋子さんが変わったことで接し方も変わり、いろんな話も出来るようになりました。
 こうして、実習の最終日を迎えました。前の晩はほとんど徹夜で、俳句集を作りました。そして世界に一つだけの、とっても素敵な手作りの俳句集が出来上がったのです。それを奈津江さんに渡した時、この心のこもった思い掛けない贈り物をとっても喜んで下さったのでした。
 このようにして、秋子さんの3週間の実習は終わりました。
 実は俳句集の最後のページに、秋子さんが作った次のような一句が添えられていました。

 「梅雨の空 あなたと話し 心晴れ」

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