落ちても受かっても


●先生のおはなし
「落ちても受かっても」

金光教香住かすみ教会
荒垣慶子あらがきけいこ 先生


 私は今までたくさん神様にお願いをしてきましたが、いちばん思い出に残っているのは、高校3年生の大学受験の時のことです。
 中学生や高校生のころに私が神様にお願いしたことといえば、ほとんどが勉強に関することでした。教会の先生から、「テストの日程が発表されたら、その時間割りを紙に書いて神様にお供えして、元気でテストを受けられるようにとお願いしましょうね」と声を掛けて頂き、また、テスト当日になると、「勉強したことがしっかり答えられ、考え違えのないように、自分の力の足りないところはどうぞ神様気づかせて下さいとお願いしてから、テストを受けさせてもらいましょう」と教えてもらい、それをテストの度に6年間欠かさずさせてもらいました。テストの日はたいてい緊張しましたが、「神様どうぞ足りないところは足して下さい」とお願いしてからテストを受けると、いつも不思議と心が落ち着いて、頑張ることが出来ました。
 高校3年生になると辺りは大学受験一色で、センター試験を目前に控えた1月にもなると、私の神様へのご祈念にも一段と気合が入ります。私にはどうしても行きたい大学がありました。
 「希望大学に合格しますように、どうか合格しますように、どうか合格…」と、まるで呪文のようにぶつぶつと繰り返してご祈念する日々が続きました。母から、「なんかすごいぶつぶつ言ってお願いしてたなあ」と言われるくらい、自分なりに一生懸命神様にお願いしました。そのくらい希望する大学に行きたかったのです。
 しかし、センター試験後に学校で自己採点をすると、思ったほど点数は取れていませんでした。自己採点の結果を持って担任の先生と面談をしたのですが、先生は、「うーん」と首をひねって、「この点数じゃ、この大学は受験出来んなあ」「志望校を変えようか」と言われ、「はい」と答えて教室を出ると、さすがに涙がこぼれました。
 合格しますようにとお願いしていたのに受験することも出来ない現実に直面して、しばらく呆然としました。しかし、いつまでも泣いていられないのが大学受験です。気持ちを切り替えて志望校を選び直すことにしました。
 担任の先生が私の受験出来そうな大学を何校か探して下さり、その中から別の大学を選び受験することに決めました。決めたはいいのですが、第1希望の大学しか眼中になかった私は、他の大学の願書を取り寄せていませんでした。願書がなければ受験出来ません。「どうしよう…」と不安になりましたが、たまたま同級生の中に自分は受けないからとその大学の願書を譲ってくれる人がいたおかげで、無事受験出来ることになりました。
 たまたま、といってしまえばそれまでですが、その時に母が、「神様のおかげだなあ」と言ってくれたので、「これが神様のおかげかあ」と、たまたまではないことを感じさせてもらったのでした。
 2次試験の前期日程を受験する時、担任の先生からは、「この大学なら合格間違いなし。まず落ちないだろう」と言われていました。しかし、結果は不合格。「えっ! どうして?」。どれだけショックを受けるかと思いましたが、でもその時ふと、不合格である現実はとても悲しいけれど、もし前期日程で合格していたら、私はきっと鼻高々になって、不合格になった人の気持ちは分からなかったはず。そう思うと、不合格になったことでその気持ちを知ることが出来たことは、何だか少しありがたいような気がしてきたのです。不合格であることが必ずしも不幸せではないんだ、このことを通して神様が私を成長させようとして下さっているんだという思いが、心の奥底から湧いてきました。自分でも、どうしてそういう心になれたのか、今でも不思議です。でも、不思議とそういう心になれたということが、教会の先生や親が私以上に私のことを神様に願ってくれていた証のような気がして、支えられていることがありがたく思えたのでした。
 2次試験は前期と後期の2回受験することが出来ました。
 そういう穏やかな気持ちになれたおかげでしょうか、後期も同じ大学を受験しましたが、今度は見事合格の通知をもらうことが出来ました。私は、神様にお願いした第1志望の大学には行けませんでしたが、全く思いもかけなかった大学に合格し、通学することになりました。
 でも、その大学で出会った先生方や友達を通して、今まで自分の知らない世界や考え方に触れる中で、たくさんの発見がありました。なんとも居心地の良い、自分にしっくり合う大学だったのです。神様は本当に私のことを私以上にご存知で、私に一番合う大学へ導いて下さったんだなあ、神様ってすごいなあとしみじみ思ったのを今でも覚えています。
 生きているといろんなことに出合いますが、ついつい結果だけを見て、合格だから良い、不合格だから悪い、というふうに良し悪しを自分で決めてしまいがちです。しかし、そういう良し悪しを超えて、先の先まで見通して神様は私を導いてくれていたんだと、大学受験から10年以上経った今、実感しています。神様にお願いして導いて頂いた今を私はとても幸せだと感じています。
 落ちても受かっても、神様はいつでも私を最善の道に導いて下さる。そのことを忘れずに、さらにここから10年後も今が幸せだと思える自分でありたいと願っています。

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