●こころの散歩道
「五十肩になりまして」
金光教放送センター
いた、いたたたたたた。肩が痛い。
それは、今まで経験したことのないような痛みでした。右肩から二の腕の辺りを、突然、激痛が襲ったのです。
床の拭き掃除をしていて、流し台の下に手を伸ばした時でした。無理な姿勢をしたのがいけなかったのだろうか。それで筋を痛めてしまったのかもしれない。いろいろと考えました。まあ、ちょっと静かにしていれば痛みも治まるだろう。その時は、それくらいに思っていました。
ところが、です。2日経っても3日経っても、1週間経っても、なかなか良くなりません。それどころか、痛みがひどくなっているような気がします。ちょっと動かすと痛みが走ります。腕を上げる、ひねる、背中に回す、こんな動作でもしようものなら激痛です。仰向きになっても痛いし、うっかり寝返りも打てません。おかげで睡眠不足。何もしなくても、なんか腕が重たくて、鈍い痛みが続きます。これは、つらい。
その上、右腕が動きにくい、というか、動かせる範囲が狭くなってしまいました。痛みを我慢しても、動かないのです。頭の上に手が届きません。なので、頭を洗う時に不便です。バンザイなどもってのほか。食事の時も不自由です。シャツを着替えるのでも一苦労。
そんなこんなの日常生活の何でもないことが、一つひとつ一大事、そんな毎日が続きました。
それから、ひと月ほど経ちました。いつまでも痛みを訴える私を見るに見かねて、妻が、近所で評判の整体治療院に連れて行ってくれました。
診察台に座らされた私の肩に、ちょっと触れただけで、その整体師の先生いわく「ああ、これはこれは。立派な五十肩だ。痛み始めて3~4週間というところかな」。
そんなことまで分かるのか。さすがは整体名人、とちょっと驚きました。しかし、納得出来ないことが。
「五十肩って、私まだ45歳なんですが…」
「30歳でなっても、70歳でも、五十肩っていうんです。これはね、人間だったら誰でも、なって不思議はないんです」
ああ、そうですか。しかし、立派な五十肩だなんて…。
「でも、あなた、いい時に来ましたね。今、一番痛い時だから」
え? 一番痛い時が、いい時?
どういうことかと尋ねると、こんなふうに教えてくれました。
「山を登るのでも、てっぺんまで来たら、後は下りるだけでしょう。それと同じで、一番痛い時、痛みのてっぺんを通り過ぎれば、後は良くなっていくんです。けんかでもそうでしょう。カッカカッカ燃えてる時には、周りが何を言っても無駄。下手したら、かえって、とばっちりを食らうのが落ち。仲裁に入るのなら、収まりかけたころでなくちゃ話にも何にもなりません。肩の痛みも一緒。ここまできたら、後は放って置いても治るんです。でも、痛みのてっぺんまで来た時に、ちょっと後押ししてやると、早く楽になる、そういうわけ」
なるほど。さすがは名人。妙に説得力があります。
そんな話を聞きながら、しばらくもんだり押したり引っ張ったり。治療を受けると、随分楽になりました。
「また、痛みがひどくなったらいらっしゃい。こんどはハリを打ってあげるから」
え? ハリって痛くないんですか? 出来ればそれはご勘弁。
それからまた、ふた月ほど経ったある日。
「そういえば、最近あんまり痛い痛いって言わないようになったね」と妻が言います。
そう言われてみれば、右肩の痛みが楽になっています。右腕の重さもほとんど感じなくなっています。
そうか。それまでは「まだ痛い」「まだ動かない」ということばかり思っていたのです。でも、本当は、まだ痛いこともあるけど、まだ動かないところもあるけれど、随分良くなっていたのです。そのことに「あんまり痛がらなくなったね」という妻の一言で気付きました。
しかし、いつから痛くなくなったのだろう…。覚えていません。というより、少しずつ少しずつ良くなってきたのでしょう。
そういえば、あの整体師の先生はこんなことも言っていました。「今は楽になっているけれど、本当に良くなるのには、まだ時間が掛かりますよ」
自然治癒力ということなのでしょうが、こんなふうに痛みが治まってくると、不思議な感じさえします。薬を使ったわけでもないし、手術をしたとかいうことでもありません。それなのに、治っていくのです。人間の体って大したものだと思います。
そう言えば、45歳は四捨五入すればもう50。なるほど、「まさしく五十肩」といっても言い過ぎではないのかもしれません。45年の長きにわたり、毎日毎日、腕を上げたり下げたり、押したり引いたり、回したりひねったり。そして、動かしたからといって、痛みを感じることなんてなかったのです。考えてみれば、これもけっこうすごいことなのかもしれない、なんて思ったりします。
いたたたた、で気付かされたことでした。