●こころの散歩道
「笑うこと」
金光教放送センター
私は40代の主婦です。だけど22歳になる娘に、こう言われます。「お母さんって、女性…というより…女子やねぇ」。それを聞いた私が「ありがとう!」と喜ぶと、娘はあきれた顔をして「あの~、全然ホメてないんだけど…。子どもっぽいってこと」と、上から目線です。
私は子どものころからずっと、周囲の友達にも「あんたは変わってるな~。ボケてるな~」と言われてきました。そう言われても、どこがどう変わってるのか、説明を聞かないと分かりません。なんか「特殊な人」みたいな言われ方、あんまり好きじゃなかったです。でも、私がしゃべったら、ゲラゲラ笑う人がいます。何がそんなにおかしいんかなと思いながらも、こちらもつられて、アハハと笑ってしまいます。人の笑った顔を見るのは好きですし、私も笑うことで、元気が出ます。
去年の春のことです。友達からよく「あんたはいつも元気そうやね」と言われる私が、すごく落ち込むようなことがありました…。「あ~、つらい…」。ションボリと過ごす日々でした。
出掛ける用事がありましたから、その前の日「さー何を着ていこうか」と、鏡の前に立ちましたが、目が死んでる人みたいでした。その顔を見て、ブサイク過ぎるとゲンナリし、美容室に行くことにしました。
偶然その日は、いつもとは違う美容師さんに当たりました。私は全然しゃべる気分じゃなかったんですが、鏡に映る美容師さんの顔をチラッと見て、こう思いました。「おしとやかな綺麗な人やな~」。それが…、彼女が一言二言しゃべったら、イメージとは全然違いました。男っぽく、サバサバした空気が漂いました。そのギャップに思わず、クスッと笑いました。美容師さんは、私が何も言わないのに、こう言いました。「クヨクヨしてる時間とか、もったいないですよね!」。そして、彼女の日常生活や趣味の話になり、そのうち、付き合っている彼氏の話まで出てきました。
美容師さんは、クールに、こう言われます。「頼ることはしたくないし、頼られるのも嫌いなんです! これって可哀想ですよね」と明るく話されるのにつられて、私はこう聞きました。「可哀想って、彼氏さんのことですか?」
「そうですよ~。私、甘えたり甘えられたりとか、したくないって感じなんです。お客さんの話も聞かせて下さいよ。どっちのタイプですか? 甘えたい方? 甘えられたい方?」と、サラッと言われますので、モジモジしていますと、美容師さんは、ニコニコして、こう言われました。「フフッ。真面目に答えなくてもいいんですよ~。こういうのは適当でいいんです、適当で」。気付けば私は、おなかを抱えて笑ってました。美容師さんは不思議そうに言いました。「そんなにおかしいかな~? 笑って頂いてありがとうございます」。
私は、帰り際、彼女に言いました。「お礼を言うのはこちらの方です。あ~楽しかった。なんか男の方と話してるみたいでしたよ」。そして美容師さんからはこう言われました。「女子っぽいお客さんで、笑わしがいがありました」。
鏡に映る、私の死んでいたような目が、少し輝いて見えました。
笑うことって、すごいかも…。
私に元気をくれる人がいます。それは、寝たきりの母の存在です。母は、10年前に、くも膜下出血で倒れましたが、長い間熱が続き、目も開けられず、意識のハッキリしない状態が、およそ2年続きました。治る見込みのない母に「リハビリをしても意味がないんじゃない?」という人もいましたが、私は絶対に諦めたくありませんでした!
こう思っていました。「いつ目が開くか分からないけど、母の意識が戻った時に、体が硬くなっていたら可哀想だから、指と足をほぐしといてあげたい」。
そして眠り続ける母に声を掛けたり、好きだった音楽を聴かせてあげました。家族も親戚も私を応援してくれて、頑張ることが出来ました。3年後には、自分の手で食事が取れるようになり、言語リハビリを頑張ったおかげで、段々と声も出てきました。その後は車椅子を自分の手で自由に動かし、ポータブルトイレに移れるまでになりました。介護サービスを受けながら、穏やかな在宅生活を7年間送っていました。
ところが、今年の2月に突然、命をつかさどる、脳幹につながる血管が切れて、現在は寝たきりとなりました。
私は力が抜けフラフラでしたが、このごろ、母が、私の顔をジッと見て笑ってくれるようになりました。もうしゃべれないんですが、私に向かって、元気を出してと懸命にメッセージを送ってくれてるように感じます。色々なことにも負けないでねと…。そんな母が今では私の心の支えになっています。
うれしいこと、悲しいこと、誰にだってあると思います。でも、生活の中に小さな喜びを見付けて、そして、笑うことで、幸せを感じていきたいですね。