●先生のおはなし
「神様に助けられた命」
金光教東田教会
高津眞男 先生
妻は、教会の長男である私と結婚することで、初めて金光教と出会いました。元々、実家には仏壇があり、小さいころから当たり前のようにお参りしていたそうで、神様に手を合わせることにも抵抗はなかったようです。結婚後は、教会での行事にも快く参加してくれて、分からないながらも、少しずつ金光教の教えに触れていました。
これは結婚して半年がたったころ、私たち夫婦が長男を授かった時の話です。
「卵巣に腫瘍のようなものがあります。すぐに大きな病院を紹介しますので」
うれしい妊娠の兆候に、はやる気持ちを抑えながら診察を受けた妻は、医師からの予期しない言葉に驚きました。
別の病院で改めて検査をした結果、確かに腫瘍があることを示す数値が高かったのですが、まだこの段階では、腫瘍によるものなのか、妊娠によるものなのか、判断が難しいとのことでした。それに、妊娠の決め手となる、胎児の心臓の音が確認できなかったのです。
「とりあえず自宅で安静に」と言われてから、妻は「どうか、赤ちゃんが私の中で生きていてくれますように」と、必死で神様に祈り続けました。そして、1週間後に再び訪れた病院で、弱々しくも新しい命の営みを確認することができたのです。
それでもまだ安心は出来ません。今にも流産しそうな状態とのことで、すぐに入院となりました。また、やはり卵巣には腫瘍があり、妊娠の安定期に入り次第、早急に手術が必要とのことでした。しかしそれは、同時に流産の危険を伴うものでした。
3週間の入院で自宅に戻ることが出来ましたが、程なくして出血があり、退院から1週間で、すぐに再入院となってしまいました。妻は、度々襲うお腹の痛みと出血のため、どうしても最悪の事態が頭から離れず「もう子どもはダメかもしれない。ごめんね」と自分のことを責めるのでした。
私はそんな妻に「何があっても神様がして下さってのこと。たとえ赤ちゃんがダメでも、この子は病気のことを教えるために、私たちのところに来てくれたんだから、そのことに感謝をしよう」と言って、励ますことしかできませんでした。それはまた、私自身に言い聞かせる言葉でもあったのです。
その後、教会に参っては先生にお届けをし、神様に祈り祈りしながら、どうにか妊娠5カ月目の安定期を迎えることが出来ました。予定通り卵巣にある腫瘍を取り除く手術をするため、直前にMRIの検査を受けましたが、医師から告げられた結果は思いも寄らないものでした。
「どうも卵巣の腫瘍ではなく、子宮の外側にこぶが出来る珍しいタイプですね」
卵巣腫瘍と言われていたものが、子宮筋腫と診断され、しかも、手術は出産した後に改めて行えば良いとのことでした。流産する危険のあった手術は、取り止めになったのです。家族中が喜び、一安心したのは言うまでもありません。
しかし、一難去ってまた一難。8カ月目の検診を受けたところ、今度は「胎盤の位置が下がっている、いわゆる前置胎盤ですから、自然分娩は難しいです。帝王切開で、赤ちゃんを早めに出さないといけません」と言われたのです。ところが、9カ月目に入ると、その前置胎盤が治っており、自然分娩で出産出来るであろうとのことで、再び胸をなで下ろすのでした。
そうして一喜一憂しながらも、何とか出産日を迎えることが出来ました。
しかし、分娩室に入る前に陣痛促進剤を打たれた妻が、にわかに激しい腹痛を訴えたのです。こらえられない痛みのため、緊急手術となりました。
何とか手術は無事に成功して、長男を出産し、同時に腫瘍も摘出することが出来ました。その上、摘出して初めて、それが最初の見立て通り卵巣の腫瘍で、しかも初期のガンであることが分かったのです。激しい腹痛は、大きく膨れた卵巣がねじれたためでした。
後になって、妊娠から出産までを振り返ってみると、全てが神様のお働きとしか思えないことばかりでした。
初め卵巣腫瘍と言われていたものが、途中の検査で子宮筋腫と診断されたこと。もし、卵巣腫瘍と診断されたままでは、予定通り5カ月目に手術が行われ、流産していたかもしれません。
また、前置胎盤が9カ月目には治り、自然分娩が可能と判断されたこと。おかげで赤ちゃんは、39週と6日という歳月を、しっかりと母胎で過ごすことが出来ました。
更には、出産間際に腹痛が起きて、緊急手術になったこと。もしもそのまま自然分娩をしていたら、ねじれた腫瘍が圧迫され、母子共に危険な状態になっていたことでしょう。
そして何よりも、もし妊娠しなければ、この病気に気付くことはなく、手遅れになっていたかもしれないのです。これらのことが何か1つでも違っていたら、妻も長男も生きていられたかどうか分かりません。幸いガンの転移もなく、妻は仕事に復帰して、3年間の検診を経て完治しました。その後、二男も授かることが出来ました。
金光教では、神様に願って助けていただいたことを忘れずに、今度は人の助かりを願っていくことが、神様へのお礼になると言われます。妻は現在、中学校の教員として、生活サポート主任という、いわば相談係のような仕事をしています。生徒や保護者一人ひとりの助かりと、今後の立ち行きを願っていくことが自分のお役目と思って、毎日の仕事を努めています。