シリーズ「天地は語る」第3回「神は頼まれるのが役目」


●天地は語る
第3回「神は頼まれるのが役目」

金光教放送センター


(ナレ)金光教の教祖である金光大神こんこうだいじんの教えに次のようなものがあります。
 「神へは何でも願え。神は頼まれるのが役である」
 今日はこの教えについて先生にお話をお伺いします。

(聞き手)早速ですが、先生、「頼まれるのが役目」ということなんですが、神様は、頼まれたがっているんですか?
(先 生)そうそう。その通りなんですよ。
(聞き手)へーえ、でも…私だったら、頼まれ役なんて、あんまりしたくないですね。面倒ですし…。
(先 生)ハハハ、面倒ですか。あなたは頼まれるのがあまり好きではない。
(聞き手)そりゃあ、よほど何か困っている人に頼まれたら、嫌とは言えませんからね、仕方なく引き受けることもあります。でも積極的に頼まれ役を買って出たいとは思いません。
(先 生)そういうものですよね。ところが神様は、その面倒なことを、してやりたいと思って下さって、「どんなことでも、私に頼んでくれよ」とおっしゃっているわけですね。あえて下手したてに出て下さっているんですよ。
(聞き手)どうしてでしょうか?
(先 生)やっぱり我が子のことが可愛くて仕方がないんでしょう。
(聞き手)我が子、ですか?
(先 生)そう。神様にとっては、私たち人間は可愛い子どもなんです。だから、喜ぶことをしてやりたくてたまらない。だけど、親に甘えてくる子は、可愛がってもやれるけれど、親に逆らい、離れていく子には、何もしてやれない。このつらさ、ふびんさは、人間の親と同じではないでしょうかね。
(聞き手)そうすると…、まず人間の方から願うということをしないと、神様の働きは十分に受けられない、ということですか?
(先 生)そうなんです。神様は私たちが願う前から、色々心配して下さって、何とか助けてやろうと働きかけて下さっていると思うんですよ。でも、本人がその気になって、それを受け止めようとしないと、神様としても、それ以上どうにも出来ない。例えば、親がおいしいものを作って食べさせてやろうとしても、子どもが食わず嫌いで口を開けなかったら、どうにもしようがないでしょう。だから、願うというのは、神様の働きをしっかり受けていこうと心を定めて、神様の方にちゃんと向かうこと。ほら、ツバメの子が、親に向かって口を大きく開けるでしょう。あれと同じことなんですね。
(聞き手)お願いしたら、神様は何でも聞いて下さるんでしょうか?
(先 生)頼まれるのが役だと言われるくらいですから、どんな願いも漏らさず聞いて下さっていますよ。
(聞き手)でも、願い通りになるとは限りませんよね。
(先 生)良い親は、子どもの願いを何も考えずにそのままかなえてやったりはしないでしょう。例えば、幼稚園児が、「スマホ買って」と言っても、「もっと大きくなるまで待ちなさい」と言いますよね。まして神様は、親は親でも、超一流の賢い親ですから、遠い先まで見通しながら、一人ひとりのために一番良いようにして下さいます。ところが人間の方は、待ちきれなくて、すぐに諦めたり、神様なんか当てにならないと思ったりするんですね。どうですか、あなたは神様に何かお願いしていますか。
(聞き手)そうですねえ、お正月の初詣の時に、1年のことをお願いするくらいでしょうか。
(先 生)初詣に行く人は多いですよね。普段は神様のことを意識していなくても、お正月だけは気持ちが改まって、「家内安全、商売繁盛」とか、「今年はいい年になりますように」とか願う。それはいいんですが、それっきりで次のお正月まで忘れてしまっている人が多いんじゃないでしょうか。
(聞き手)ああ、私、まさにそれです。
(先 生)ずっと願い続けることが大事だと思うんです。願い続けていれば、神様としても、かなえてやりやすいと思うんですよ。さっきのツバメの例えで言えば、お腹をすかしていると思って親がせっかく餌を取ってきても、帰ってきた時には口を閉じて知らん顔しているようなもので…。
(聞き手)ああ、それは、残念ですね。
(先 生)私も学生時代に、学習塾で子どもたちに勉強を教えるアルバイトをしたことがありましてね、その時つくづく、こちらの思いが届かないもどかしさを感じたことがありました。教えてほしいという思いを持ち続けている子は、どんどん吸収していって、「先生のおかげで成績が上がった」と言ってくれるんですよ。でも、勉強になかなか興味を持てない子もいましてね、私は可哀想で、個別に教えてあげようとしたんですが、時間が無いとか何とか言って断るんです。それでテストの結果が悪かったら「先生の教え方が悪い」なんて言うんですよ。
(聞き手)つらいですねえ。
(先 生)神様もきっと、人間に対して、そういう思いを抱いておられるんじゃないかと思いますね。神様のおかげをしっかり受けられるかどうかは、人間の心がどっちを向いているかで決まる。だから、どうかこっちを向いてくれよと、神様から願うような気持ちで、言葉を掛けて下さっている。それがこの教えだと思います。
(聞き手)「何でも願え」とありますが、本当に何をお願いしてもいいんでしょうか。
(先 生)人から見たら無理に思えることでも、あるいはつまらないと思えることでも、願いというのは、本人にとってみれば、みんな切実な思いですよね。可愛い我が子が真剣に願ってきたことを、神様は決して粗末には扱われません。
(聞き手)ちょっと私もお願い事をしてみたいな、と思えてきました。
(先 生)きっと喜んで聞いて下さいますよ。
(聞き手)はい、ありがとうございました。
(先 生)こちらこそ、ありがとうございました。

(ナレ)今日は、「神へは何でも願え。神は頼まれるのが役である」という教えについて、先生にお話をお伺いしました。

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