心配は財産


●信心ライブ
「心配は財産」

金光教放送センター


(ナレ)金光教の集会で行われた発表や講話などを録音で紹介する「信心ライブ」。今日は、大阪府鶴町つるまち教会の藤坂金生ふじさかかねおさんが、平成25年4月に、金光教おおとり教会でお話されたものをお聞き頂きます。
 皆さんは、「心配」という言葉に、どんなイメージを持っていますか? お話の中で藤坂さんは、心配についてどのように言われたのか、ちょっと聞いてみましょう。

(音源)神様は、私たち人間の親であると教えて下さっております。親神様、と金光教では神様のことを申したりします。神様が親で、私たち人間は子どもであると教えてもらうんでありますが、この親神様のお心があるからやと思うんであります。
 私たち一人ひとり、神様から思われて、願われて、ここにおる私たちである。そのことを改めて確認させて頂かなならんなあ。神徳の中に生かされてある、いうのは、いつも神様が心配して、いつも神様が拝んでくれている時であります。
 長いこと信心してきた、うちにお参りしているおばさんが、「先生、私は長いこと信心してきました。で、今までも何回もおかげ頂いて、神様に助けてもうてきました。それでもまた、子どものことで何か起こってきましたら、心配で心配でしょうがありません」いうて、そんなことを言うんであります。
 その時に、「あ、そうや」と思った。「その心配な時こそ、神様があなたを拝んでくれている時ですよ」と言いました。そしたら、そのおばさんは喜びました。私は、「あ、そうか」と思った。その人は、心配で、心配で、自分の体を痛めてしまうくらい心配性な人であります。でも、「この心配性は、あなたの才能ですね」。なんかそんな言葉がふと、私の中から出てきたんであります。
 「いつもあなたは子どものことを思いますね。私は、結婚もしてません。子どももおりませんから、私にはまだ分かりませんけど、それだけ心配するほど、子どもを思えるいうことは、神様から頂いた、大切な、子どもを愛おしいと思う、子どもを大切に思う、あなたの財産ですね。ですから、心配が出てきたら『神様ありがとうございます。子どものことを心配させてもうてます。子どものことを思える心を私は頂いております。神様、この心配が起きましたら、私のことをあなた様が拝んでくれている時ですね。私もその心と同じになりまして、子どものことを祈らせて頂きます』と心配が出てくる度に、神様にそう祈ってあげて下さい」と言いました。
 「そしたら段々、あなたの心配性も和らいでいき、体を壊すまでの心配はなくなっていくように思います。心配性はあなたの宝物です。財産ですから大事にして下さい」と言うてお話をさせて頂きました。
 そのおばさんはそれから、ニコニコ、ニコニコ元気にお参りしてきます。今でも、「心配です、心配です」いうて、時には、「しんどいなぁ、つらいなぁ…」そんなこともありますが、また私と話をして、その昔のことを思い出しながら、元気を出して信心をしてくれております。
 その一つひとつ頂いているもんを伸ばしていくいうことが大事やなぁ思います。私たち一人ひとり、それぞれ別々のありがたいものを神様が下さっております。それが目覚めていくような心の使い方、あり方をしていって、自分で自分を元気付ける、励ましていくような、そういうおかげを頂いていきたいと思います。
 神様はいつも私たちを思い、願うて下さっておる、そのことだけ一つ覚えておいて頂きたいと思います。
 「つらいなぁ、どうしようもないなぁ」いう時こそ、神様が拝んでくれている時である、そう思い出して下さい。そして、それでも辛抱たまらん時は、教会へ来て、先生にお話を聞いてもらって下さい。一緒に神様に拝んでもらって下さい。先生は一生懸命に神様にお頼みして下さいます。よう聞いて下さいます。これが私は、金光教の教会の一番ありがたいところやと思わせて頂いております。

(ナレ)いかがでしたか? 実は私も今、子どものことで悩んでいます。勝手なもので、自分が子どもだったころは、親に対して、「何でお母さんは心配ばかりするの? 理解出来ない!」なんて思っていましたが、親になって初めて、母の気持ちが痛いほど分かるようになりました。
 藤坂さんのお話の中で、子どものことが心配でなりませんというご婦人が出てきますが、私は自分のことと重ね合わせて聞きました。心配が体に良くないのは当然です。だけど、心配してしまうんですよね。そんなご婦人に対し、藤坂さんは次のように言われていました。「それだけ心配するほど、子どもを思えるということは、神様から頂いた大切なあなたの財産ですね。子どもを愛おしいと思う、大切に思う心を、神様から頂いているんです。心配が出てきたら、神様も同じぐらい、あなたのことを思って、拝んで下さっていますよ」とおっしゃいました。
 心配性で苦しむ気持ちを丸ごと受け止めて下さり、寄り添って頂いているような、懐の大きな親神様の愛を感じました。心配というのは簡単に消えないでしょうが、すがる気持ちを繰り返す中で、いつか、心が落ち着いていき、安心に変わる日が来ることでしょう。

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