●ラジオドラマ「毎度ご乗車ありがとうございます。」
第3回「Mr. 棚卸し」
金光教放送センター
登場人物
・雄一 40代/高校3年生
・時計商 50代
・行商のおばさん 60代
・客
(ナレーション)
ただ今より皆様を7分間の列車の旅へご案内致します。それでは出発です。(電車の出発音)
(店の扉を開ける)
客 : こんちはー。
雄 一: ああ。いらっしゃい。
客 : 修理できた?
雄 一: はい、直ってますよ。
客 : それはそれは。
雄 一: こちらです。
客 : (腕時計を耳に当て、チッチッチッ…)うん、おう、動いてる。よく直ったね。他の時計屋じゃ直せないと言われたんだが…ありがとう、ありがとう。
(ナレーション 雄一)
私は東京の下町で小さな時計店を営んでいます。私の家は医者の家系で、両親は私を有名大学の医学部に入学させようと、自宅からかなり離れた都内の有名進学校へ入れたのですが、レベルが高くてついてゆけず、私は落ちこぼれの生徒でした。そんな訳で高校3年生になっても、毎日ダラダラ過ごしていました。
そんなある日、授業も終わり、いつもの帰りの電車に乗りました。
(電車の走行音)
(腕時計が落ち壊れる)
雄 一: し、しまった! 腕時計が! ああ、壊れちゃったか。…ま、いいか。十分使ったことだし、もう寿命だな。新しいのを買ってもらおう。
(ナレーション 雄一)
落ちた腕時計を無造作にカバンの中へ放り込もうとしたその時…。
時計商: お兄さん、ちょっと、それ…。
雄 一: えっ、何ですか?
時計商: その腕時計…。
雄 一: ああ…壊れちゃったみたい。おじいさんの形見なんだけど、古くて重たいから…。
時計商: 本当に壊れているのかなぁ。どれ、私に見せてごらんなさい。
雄 一: あ、はい。
時計商: うーん、壊れちゃいない。道具があれば、すぐに直せるんだが…。
雄 一: 直せる? おじさんが?
時計商: ハハハ…実はおじさんは自分で言うのもなんだが、腕の良い時計職人なんだ。それにしてもこれは年代物の立派な腕時計だ。ほれぼれする…。
雄 一: 気に入ってくれたんなら、おじさんにあげてもいい。
時計商: バ、バカなことを言ってはいけない。人に上げたりしたらおじいさんが悲しまれる。
雄 一: 出来の悪い僕が使うよりもかえって喜んでくれるよ。
時計商: えッ、出来の悪い?
雄 一: うん、良いところが一つも無いんだって。今日も先生から言われた。進学の相談会で、「お前は理数系が苦手で、国語の力も弱い。運動神経は鈍いし、その上音痴。褒めるところがない」って。
時計商: (笑って)そんなにたくさん、よく人をけなせるなぁ。
雄 一: 生徒の欠点ばっかり見つけるので、「Mr. 棚卸し」ってあだ名が付けられているんだ。
時計商: 君、「棚卸し」というのは、帳簿と手持ちの商品とを照らし合わせ、今持っている価値ある資産を確認すること。それが「棚卸し」の本来の意味なんだ。
雄 一: その「価値ある資産」というのが、僕の場合、1つも無いんだ。
時計商: ただの1つも?
雄 一: 英語検定の資格を持っているとか、コンクールで1等賞をもらったとか…。そんな勲章が僕には1個もありゃしない…。
時計商: なるほど…。
(駅に到着する)
(乗客が乗り降りする)
おばさん: ごめんなさいよ、どうもすいません。
(ナレーション 雄一)
そのとき、顔見知りの行商のおばさんが乗り込んできました。
雄 一: おばさん、今日もお疲れー。さ、ここに腰を下ろして。
おばさん: どうもありがとう。でもほら、今日はたくさん売れたから、気分が良くて、ちっとも疲れちゃいない。あんたはそのまま座っていなさい。
雄 一: 僕は大丈夫。「腰が痛い、痛い」って、昨日もそう言ってたじゃないか。早く座って。
おばさん: じゃ遠慮なく。よっこらしょ。なあー、あんたは今朝もお年寄りに席を譲っていたね。1時間半も掛けて学校へ通ってるんだから、疲れているだろうに。
時計商: 1時間半? 君は1時間半も掛けて学校へ?
雄 一: え? ええ。中学へ入った時からだから、もう6年間…
時計商: 6年間?
雄 一: 本を読んだり居眠りしたり。…あ、時には折り紙折ったり。
時計商: 君が折り紙?
おばさん: このお兄ちゃん、手先が器用なんですよ。千羽鶴いつも折ってくれて。病気で入院している子どもたちがとっても喜んでくれているんです。
雄 一: うれしいなあ。
おばさん: はい、そのお礼、残り物で悪いけど。
雄 一: あっおいしそうなおまんじゅうだ。家で待っているおばあちゃんにもあげよう。ありがとう。
おばさん: こちらこそ!
おばさん: あ、駅に着いた。じゃ、さよなら。また明日…。
雄 一: おばさんも気を付けてね。
おばさん: はい、ごめんなさいよ。はい、すみません…。
(電車の走行音)
時計商: き、君、君!
雄 一: え?
時計商: 「棚卸し」出来る資産を、君はいくつも持っている!
雄 一: 僕が?
時計商: そうだ、君は持っているんだ。まず第1に――。
雄 一: 第1に?
時計商: 中学高校の6年間、往復3時間余りの道のりを、雨の日も風の日も休まず通学し続けたこと。病院で治療を受けている子どもたちにお見舞いの千羽鶴を折って届けていること。誰にでも優しく接することができること。ぜーんぶ君の資産じゃないか。
(ナレーション 雄一)
一週間後、私はおじさんの店を訪ね、完璧に直った腕時計に感動したのです。
(ナレーション 雄一)
あれから20数年。私は今、誰からも頼りにされる時計職人となることができました。
あの日、私の「棚卸し」をしてくれたおじさんのおかげなんです。