●信者さんのおはなし
「祈りのノート」

金光教操山教会
古家鈴子 さん
私は、今から40年程前、嫁ぎ先の義母の勧めで金光教にご縁を頂き、岡山県にある金光教操山教会へお参りさせて頂くようになりました。
初めのころは自分の都合に合わせてお参りしておりました。生活の中でのお詫びやお礼はしないでお願いばかりしていたと反省します。形式ばかりで神様に向かう心が伴っていなかったようにも思えます。
やがて、月初めの一日にお参りしてお取次を頂き、1ヵ月のお願いをさせて頂けるようになりました。
お取次とは、先生がお参りになった方々の願いや心の内を聞き、共に祈り、そして、神様の願いをお話しになるというものです。
その後、お参りする度に、先生から色々なお話を聴かせて頂くようになりました。
3人の子どもたちが受験の年には、志望校合格を願って毎日お参りさせて頂きました。お参りをして、先生のお話を聴かせて頂く中で、合格という目先のことのみお願いするだけでなく、学校へ入った後のこと、更にその先のことを見越してお願いしていくことが大切であると教えて頂きました。
そして、私が本当に助かりたいとお取次を頂いたのは、主人が失業した時でした。予期しない出来事でした。当時、子どもたちは3人とも学生でした。経済的なことを考えますと、一刻も早く次の勤め先を見付けて就職して欲しいと願うばかりでした。
先生に私の気持ちを聴いて頂いた時に、「まず、これまで働かせて頂いたことにお礼申しましょう」と教えて下さいました。主人が毎日働いてくれていたのは当たり前だと思っていましたが、そうではなかったと気付かされました。
起きてきたことへの不満や不足はあっても、健康で働いてくれていたことへの感謝の気持ちが足りなかったのです。先生から、「難儀な中にあってもそれ以外の数々のおかげを頂いている。お礼の心が大切ですよ」と教えて頂いたにもかかわらず、いざという時にはそういう思いには至りませんでした。私自身も改めなければと気付かせて頂きました。次第に気持ちも落ち着き、不安も解消していきました。
主人も就職活動に前向きに取り組むことが出来、その結果、就職先も決まりました。現在も元気に働いております。あの時のことがあったからこそ元気で働いていることを喜び、当たり前ではなく有り難いことであると受け止めさせて頂いております。
昨年秋、操山教会では、設立110年を迎えました。それを記念して教会から、「祈りのノート」を配って頂きました。祈りのノートには、私たち信奉者一人ひとりが、自分のことのみではなく、家族や身内のこと、更に友人やその家族のことまでをも祈れるようになって欲しいという願いが込められています。
私は、身の回りに起きて来る色々なことを一つひとつお取次を頂き、私自身が改まらねばと気付いたことや、助かって欲しいと願う人のことなどをノートに書いております。
例えば、姉の夫は3年程前から認知症もあって、自宅介護が困難になり施設に入所しております。最近では、記憶力も衰え、パーキンソン病の症状も出てきましたが、姉や子どもたちが面会に行くと笑顔で迎えてくれます。何よりもうれしいのは、自分たち家族のことを覚えてくれているということです。今後も姉の夫の助かりと家族の幸せを祈らせて頂きたいと思います。
また、小学3年生になる孫は、幼いころから人見知りの性格のため、お友達や周囲の人とのコミュニケーションが上手に取れませんでした。学校のお昼休みも教室に一人で居ることが多くて、そのような孫の様子を想像して何とかしてやりたいと思っていました。
ある時、春の遠足でお弁当を一緒に食べる友達が居なくて不安がっていると聞きました。このようなことをお取次願うことにためらいましたが、楽しい遠足になりますようにとお願いしました。
すると、担任の先生が、クラス全員が一緒に昼食を取るように計画して下さり、有り難いことになりました。
最近は図書室や運動場に出て、元気に学校生活を送っています。また、音楽発表会ではお役を申し出たりと何事にも積極的に取り組み、そして参加出来るように徐々に変わってきております。私が願っていた以上のおかげを頂いております。引き続き、孫自身がお友達や先生の優しい心に気付き、成長することを願うと共に、子育て中の娘が、親としてお育て頂くことも願っております。
日常生活の中で当たり前と見過ごしていた事柄が、いかに有り難いことであったのか教えて頂きました。そして、そこに神様の尊いお働きを感じることが出来るようになったと思います。
今から振り返ってみれば、主人のことや孫のことなど数々のおかげを頂いてきました。お取次を頂き、神様にお願いしていけば、神様が良いようにして下さると実感しました。これからも先生にお取次を頂いていきたいと思います。そして、「祈りのノート」に託された願いのように、自分のことだけでなく周りの人のことまで祈ることの出来る私にならせて頂きたいと願っています。