●信者さんのおはなし
「いつも、前を向いて」
金光教放送センター
都内のとある私鉄沿線。電車を降りるとウルトラマンが迎えてくれます。その駅前の商店街を抜けると閑静な住宅街。今日ご紹介する西野光一さんがいつもお参りしている金光教成城教会は、その住宅街の一画にあります。
がっしりとした体格に、人懐っこい笑顔が印象的な西野さんは、今、44歳。中古のカメラなどを取り扱う会社を経営している、元気いっぱいの若い社長さんです。
西野さんは、毎日のように教会に参拝しては、会社のこと家族のことを神様にお祈りし、教会の先生に願い事を聞いてもらっています。気が付けば1時間2時間と、時を忘れて、先生と話し込んでしまっていることも少なくないそうです。
西野さんは、「いつお参りすると決めているわけではなくて、お参りしたいな、と思う時に教会へ行くんです」と話します。そしてこのことを、神様に呼ばれている感覚、と表現します。
そんな西野さんですが、若いころには、それほど熱心に教会に参拝していたわけではありませんでした。祖父母も両親も金光教の信心をしていたので、教会は身近な存在だったし、神様ということも、それほど違和感なく受け入れていました。しかし、自らの意思でお参りしたり、神様にお祈りしたりということは、あまりありませんでした。
転機となったのが2008年、いわゆるリーマンショックでした。アメリカの大手証券会社の破綻から始まった金融危機。それにより、世界経済は大きな打撃を受けました。そのあおりを受けて、西野さんの会社も売り上げが激減し、資金繰りが悪化。そして、大きな負債を抱え、経営が苦しくなってしまいます。その時、西野さんは38歳、父親が亡くなった後の会社を受け継いで3年目のことでした。
景気は落ちこみ、業績も伸びない、借金ばかりかさみ、返済が迫る…。自分の力ではどうすることも出来ない、先の見えない中、とにかく毎日教会にお参りすること、そして神様に祈ることを続けました。
教会の先生は、いつも西野さんのことを気に掛けてくれていました。そして、話を聞いては、一緒に神様に願って下さいました。西野さんはそのころのことを、「わらにもすがる思いでした」と振り返ります。
そんな時に出合ったのが、「神様がご主人、私は奉公人」という言葉でした。これは明治の終わりから戦前に掛けて大阪で活躍した、金光教のある布教者の言葉です。商家に勤めていた自身の体験から、神様と人間との関係をこのように表現したものでした。現代からすると、「ご主人」とか、「奉公人」とか、古臭い感じがするかもしれません。でも、西野さんの心には、それがすーっと染みこんだのでした。
神様がご主人、つまり、社長ということか。これまで、自分は社長として一生懸命、経営のことに取り組んできた。それなりに業績も伸ばしてきたつもりだった。でも、本当はどうだったのだろうか。これからは、社長の神様の下で働くつもりで、仕事をしていこう。そう心に決めたのでした。
そうなると目の前にあるのは経営の再建です。例えば多額の借金の返済。銀行に足を運んだのは、1度や2度のことではありません。何度も何度も頭を下げて、交渉を重ねました。「銀行にこちらの条件を受け入れてもらうなんて、どうしても無理なことかもしれない」。そう諦めかけたこともありました。
そんな時、思い出したのが、「神様がご主人」ということでした。そうだ、社長である神様に命じられて、銀行との交渉に当たっているのだ。これは神様のお仕事なのだ。自分が勝手に諦めるわけにはいかないのだ。そして、また気を取り直して、銀行に向かいます。ついには、こちらの願う通りの条件で、銀行が返済を待ってくれることになりました。
経営の再建は、そんなことの連続でした。だから、「自分が自分の力でやっているのではない。神様にさせて頂いたからこそ、出来たのだ」と、西野さんは振り返ります。
その後、自社ビルの売却がうまくいき、借金も順調に減らすことが出来ました。会社の規模は小さくなりましたが、経営は何とか持ち直しました。特に、この3カ月は、過去最高の売り上げになりました。
「これは、社長の神様から頂いたご褒美かもしれません」と西野さんは話します。そして、次のように続けます。
「でも、ほんとうに大切なのは、実は、どのように厳しい状況の中でも、常に前を向いて立つことが出来る、そのような精神状態になることが出来るということだと思います。私にとって、そんな心を養ってくれるのが、この金光教の信心なのです」と。
西野さんは、神様に使って頂くという思いで、一つひとつの仕事に取り組み、そして、神様と共に歩んできました。そのことで、どんなにつらい中でも、くじけずに前を向くことが出来たのです。そして、こういう生き方があるということを、今度は周りの人たちにも伝えていきたいと、願っています。
今日はどんなことが起こってくるだろうか。そのことを通して、神様は、何を見せて下さるだろうか。何を気付かせて下さるだろうか。そんなことを楽しみにして、一日一日を大切に生きていきたい。こう語る西野さんの目は、少年のようにきらきらと輝いていました。