朝の祈り


●先生のおはなし
「朝の祈り」

金光教阪急塚口はんきゅうつかぐち教会
古瀬真一ふるせしんいち 先生


 「おはようございます。今日はいいお天気になりましたね」
 私は、教会の近くの道路をお掃除しながら、行き交う人たちと、こんな朝のあいさつを交わすのを、密かな楽しみにしています。
 私が奉仕している金光教の教会は、大阪と神戸を結ぶ私鉄の駅に近い住宅街にあります。片側2車線の県道に面しており、朝、お掃除をしていると、駅へ向かう通勤、通学の人たち、散歩やジョギングをする人たちなど、大勢の方々と出会います。
 この朝の道路のお掃除は、日課のようになっていて、既に亡くなって久しい祖母や、何人ものご信者さんたちによって、私が子どもの頃から続いています。私は、10数年前から取り組み始めました。私が取り組み始めた当初は、ごく限られた範囲だけをお掃除していましたが、目の前のゴミを奇麗にしても、また次のゴミが目に入るので、いつの間にかその範囲は、教会を挟んで南北に200メートルほどの区間にまで広がりました。近くのお店や、ご近所の方たちも、もちろん美しい町内を保つよう、いつも心を配っておられますが、多くの車が走り、大勢の人が行き来しますから、全くゴミがないという日は、残念ながらないのが現実です。
 面白いもので、捨てられているゴミにも季節感が現れていて、例えば、おでんの器や風邪予防のマスクから冬の訪れを、また、空になったペットボトルやアイスキャンディーの棒から夏が近いことを感じたりもするのです。
 今では、楽しみでさえあるこのお掃除、取り組み始めたばかりの頃は、実はそうではありませんでした。無造作に路上に捨てられたタバコの吸い殻や空き缶、食べ散らかされたファストフードなどをちり取りに掃き集めながら、「こんなところにポイポイと、物を捨てるなんて許せない」という怒りの感情が湧いて来て、心が波立ってしまう有り様でした。
 それでも、奇麗になった街角に、すがすがしい朝の日射しが差し込んで輝くのを目にすると、「ああ、させてもらってよかったなあ」「踏みしめる大地に、少しでもお礼が出来たかな」というように、少しずつ、喜びややりがい、意味を見つけ出せるようになっていきました。
 7~8年ほど前の初夏のことです。私の心に深く刻み込まれた出会いがありました。
 ある朝、いつものようにお掃除をしていた私は、県道の信号機の根元に、奇麗な花束が、お供えしてあるのに気が付きました。翌日も、その翌日も、花は、その場所を慈しんで微笑みかけるように美しく咲き続けていました。けれども、日を重ねるにつれ、次第にそのみずみずしさは失われていきます。
 「ああ、少し痛んできたなあ。でも、もう一日は大丈夫かな…」「もう一日」「もう一日…」というように、大切な人への祈りが込められたその花束を片付けることが出来ないまま、何日かが過ぎていきました。
 随分痛んでしまった花束を見て、「さすがに今日は、片付けなくてはならないな…」と、私が心を決めたその朝、一台の車が、すっと目の前に止まりました。そして、40歳ぐらいの男性が降りて来て、花束を片付けられたのです。
 私が、「おはようございます」とあいさつすると、その男性は、「息子を、この交差点での交通事故で亡くしました。近くに住んでいましたが、実は、この土地を離れることになりました。子どもが亡くなった後、家庭もうまくいかなくなり、離婚したのです。もうここで暮らすのはつらいのです。だから、この現場に来てお参りするのは、きっと最後になると思います」と、ひと言ひと言を絞り出すかのように、静かに話をされたのでした。
 私は、その男性に、「この場所は、これからも出来る限り奇麗にしておきますから。お元気で」と、精いっぱいの心を込めて伝えたのでした。そして、遠ざかっていく男性の車を見送りながら、ここで亡くなったお子さんや、男性のこと、また、別れた奥さんの身の上を、祈らずにはおれませんでした。
 昨日と少しも変わらない、静かな朝でしたが、穏やかに見えるこの町にも、思い掛けない出来事に遭い、人知れず深い悲しみや苦しみを抱えて暮らしておられる方がいらっしゃるということを、神様から突きつけられた朝でもありました。
 この日以来、私はこれまでにも増して、道路を行き交う人たちの幸せや、悲しみ苦しみからの助かり、そして、日々の暮らしが立ち行くことを祈りながら、お掃除に取り組むようになりました。
 朝、言葉を交わす顔見知りの方も、次第に増えてきました。80歳手前くらいの男性は、「今日も、生かして頂いてありがたいねえ。年を取ると、『ああ、今朝も目が覚めたなあ』って思うんですよ。眠っている間に何かあってもおかしくないのに、『今日も命があって、目が覚めた。ありがたいなあ…』って、心の底から喜びが溢れ出て来るんですよ…」と、その眼を少し潤ませながら、朝を迎えた喜びを、私に聞かせて下さいました。
 この放送が流れる朝も、きっと私は、いつものようにお掃除をしていることでしょう。お掃除しながら心の中で、「神様ありがとうございます。大空には陽が昇り、踏みしめる大地は豊かな恵みをもたらしてくれています。今日も私は、命を授かり、生かされて、生きています。身体も心も元気です。どうぞ、授かった今日の日が、皆さんにとって、素敵な一日になりますように…」と祈りながら。

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