もったいなくて


●先生のおはなし
「もったいなくて」

金光教稗島ひえじま教会
高島保たかしまたもつ 先生


 高校を卒業した娘が、パン屋さんでアルバイトを始めた時のことです。私は、娘が閉店時間まで働いた日に限って、妙に元気がないことに気付きました。
 パン屋さんの勤務時間は朝6時から夜11時までの交代制で、仕込みの補助作業から出来上がったパンの陳列、袋詰め、レジ打ちまで、大忙しの毎日です。娘は初めてのアルバイトで、さすがに夜遅くまで働いた日は疲れるのだろう、と初めの頃はそう思っていました。しかし、娘には高校のクラブ活動で培った忍耐力や精神力があるはずです。娘の元気のない様子を何日も見ているうちに、私は何か別の理由があるのではないかと考えました。
 ある日、娘から話を聞くと、「捨てられるパンがもったいなくて」と言います。そのパン屋さんでは、閉店時間が過ぎると売れ残ったパンを捨てる作業があるのですが、まだ食べられるはずのパンがごみのように扱われるのに、娘は違和感を覚えたのです。それもただ廃棄するだけではなく、パンをぐちゃぐちゃに踏みつぶしてからごみ袋に入れて捨てる作業です。わざわざこんなことをする理由は、第三者に廃棄したパンをごみ袋から盗られないようにするためだとか…。
 娘は、高校のクラブ活動で食べたパンのことを思い出しました。早朝練習の前に、「今日も頑張ろう」と、みんなを元気にしてくれたパン。しかし、このような目に遭って、パンが可哀想で仕方がありません。
 お店のパンを作る職人さんは朝3時までに調理室に入り、パンの仕込みを始めます。仕事はとてもハードで、ほとんどが力仕事と立ち仕事です。パン職人さんはこのパンをおいしく食べてもらいたいのであって、初めから捨てられると思ってパンを焼いてはいないのです。捨てるということは、こうした思いをも一緒に捨てるということになります。
 娘は、出来上がったパンを陳列する度に、「このパンを食べてくれる人に出会えますように」と、神様にお願いすることしか出来ませんでした。
 私は小さい頃から、「もったいない」とよく親に言われて育ってきました。水道水の出しっ放しや、電気の付けっ放しはもちろんのこと、食後のお茶わんにご飯粒が付いているだけでも、「もったいない」と叱られたものです。
 考えてみると、世界中で水道の蛇口から直接水が飲める国はごくわずかしかありません。その水が無くなってしまうと、私たちの生活は成り立ちません。ところが、限られた貴重な資源を、普段意識せずに無駄遣いしていることにあまり気付いていないのです。
 一粒のご飯にも、天地の恵みと収穫した人々の大変なご苦労が込められています。全ての物を大切にする心、食べ物のいのちを粗末にしない心、食べ物を作って下さった方への感謝の気持ちを大切にすることを、私たちの世代の多くは親から教えられてきました。
 商業化された現代社会においては、この、「もったいない」という心を失った世代の人が増えつつあります。親から教えられてきた目に見えない心の教育を、若い世代や子どもたちに伝えていけたら、というのが私の願いです。
 さて、話はパン屋さんのアルバイトに戻りますが、この店には娘の高校のクラブ活動で仲間だった恵子けいこさんという人も一緒に働いていました。勤務は交替制のため、娘は閉店までの勤務が何日も続く一方、友達の恵子さんは朝6時からの勤務です。それなのに恵子さんは夜の閉店時間にお店に来てパンを買っていきます。次の日も、また次の日も毎晩です。特にこの店では残ったパンを割引することはありません。朝から長時間置かれたパンであることは恵子さんが一番よく知っているはず。それなのに、なぜ売れ残ったパンを毎晩買いに来るのか不思議です。娘は思い切って聞いてみました。
 「どうして閉店間際にパンを買いに来るの?」
 「捨てられるパンがもったいなくて」
 恵子さんも娘と同じ思いでした。恵子さんは、閉店時間が過ぎるとごみのように捨てられていくパンを見るに見かねて、閉店間際に毎晩パンを買いに来ていたのです。
 捨てるのが当たり前になっている世の中に流されずに、「もったいなくて」の精神でとった恵子さんの行動は、社会にとって小さなひと滴に過ぎないかもしれません。しかし、一人ひとりが出来ることは小さなことでも、一つのパンのいのちも粗末にしない行動は、とても尊いことだと感じました。
 娘と恵子さんが通っていた高校は、金光教関係の学校でした。食事を頂く時には、「食べ物は、人の命のために天地の神様が作り与えて下さったものですから、有り難く頂く心を忘れてはいけませんよ」と教えてもらいました。
 私たちは、天地の神様のお働きによって出来る食物を日々頂いています。神様のお恵みなくしては、何一つ作ることは出来ません。肉や魚、パンや野菜も、皆、掛け替えのない命なのです。生きていることへの感謝の心を忘れてはなりません。
 娘は、このことを通して、天地の働きの中で生かされて生きている私たちであるということを学び、神様の働きを人に伝えたいと、金光教の教師の道へ進みました。
 また、友達の恵子さんは、食物を粗末にしたくない思いで、食品関係の会社で働いています。

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