受け方上手


●先生のおはなし
「受け方上手」

金光教邑久おく教会
小林眞こばやしまこと 先生


 おかげさまで、ただ今64歳、シルバー世代の仲間入りまで後わずかになりました。よく自分の顔を見ると、しわだらけなのに、困ったことに気分はまだ35歳くらいなのです。本音を言うと30、と言いたいところなのですが、長男から、「お父さん、いくら何でも息子の歳よりも若いというのは、いかがなものかと思うけど」とのクレームがあり、少し気を遣うことにしたのです。
 お互い自分のことは客観的に見ることが出来ません。大抵の人は多分私と同じで、「実年齢よりも自分は若い」つもりでいるはずです。
 だから、こんなことが起こったのでしょうか。
 月に1、2度、所用で岡山から、と言っても兵庫県に近いところですが、大阪へ行くようになって15年になりました。交通手段は専ら電車です。居眠りしていてもお酒を飲んでいても、本を読んでいても、じっと座席に座っているだけで目的地に着くのですから、こんなに便利なものはありません。
 いつも利用している電車は、行きも帰りも一部の区間を除いて大抵満員です。乗客のほとんどは通勤、通学の人ばかり。最近になってやっと気付いたのですが、通勤、通学の人ばかりということは、私は、乗客の中ではすでに最高齢の部類に属していたのです。
 それなのに私はずっと、電車に乗ると、いつも席を譲ることばかりに気を取られていました。ところがそれは、今となっては勘違いもいいところでした。実はもう、逆に席を譲られてもおかしくない側の人間になっていたのです。
 それは暑い一日のことでした。その日もまた、大阪から姫路に向かう帰りの快速電車は、いつものように仕事で疲れた乗客でいっぱいでした。運よく4人掛けの座席の一つが確保出来た私は、ボーっと車内の様子を見るとはなしに眺めていました。途中の駅で座席が空いても、我先に、と言った感じで、すぐにその席は埋まります。誰もがみんな、出来れば座席が欲しいのです。
 最近では、スマートフォンでゲームを楽しむ人が増え、両手で操作する方がやりやすいのか、以前にも増して座席を欲しがる人が増えたような気がします。またゲームに夢中になって、周りのことなど我関せず、といった感じで、座席を譲る場面にあまり出くわしたことがありません。
 ちょうどそんなことを考えていた時です。神戸駅で乗り込んだある中年の女性が、すぐ横に立ったのです。するとすぐに、向かいの座席に座っていた女子高校生らしき女の子が席を立って、「どうぞ」の声と共に、その女性に席を譲ったのです。ところが、その女性の反応はこうだったのです。
 「大丈夫です、次で降りますから」。そう答えると、何事もなかったかのように立っているのです。
 その女性の歳は多分私と同じくらい。私から見ればまだ十分若いのですが、残念なことに、若い人から見ると間違いなくおばさんです。いくら自分は若いと自己申告しても、それは無理というものです。
 女子高生はすでに席を立っています。もうおいそれと席に戻ることなんて出来っこありません。いつもならすぐに埋まる座席ですが、この席だけは特別です。事の成り行きを見ていた人には手出しの出来ない、特別な座席なのです。
 満員電車の中で、ポツンと一つ空いたままになった座席は、その周りにおかしな空気を醸し出していました。
 だからと言って、その中年女性が別に悪いことをしたわけではありません。素直に自分の気持ちを答えただけなのです。
 この出来事は、私にとって、決して他人事ではありませんでした。もし、自分がその中年女性だったら、一体どんな反応をしていたでしょうか。「ありがとう」と、素直にその女子高生の好意を受け入れていたでしょうか。
 この誰にも座ってもらえない座席を見ながら、私はいろんなことを考えました。
 今まで、人に座席を譲って来たのはなぜなのか。それがマナーだからか? ただそれだけの理由か? 相手がどう受けようが、そんなことは本当に関係ないのか? 例え譲っても、今のように申し出を受け入れてもらえなかったり、嫌々座席に座られても、それでもいいのか?
 座席のことにとどまらず、次から次へと、いろんなことが頭の中を駆け巡りました。
 好むと好まざるとにかかわらず、誰だっていつかは人様のお世話になる日がやってくるはず。そんな時、常々、「人の世話にはなりたくない」と思っている私が、素直に人様のお世話になれるのだろうか。 
 気付くと、いつの間にか電車は明石駅に止まっていました。見ると、先程の中年女性が降り際、席を譲ってくれた女子高生に向かって何かを話しています。「いいえ」と笑顔で答える女子高生。良かった。その笑顔を見て、私も何かつかえていたものが取れた気がしました。
 そうだ、笑顔だ。今まで私が、疲れていても無理をしてでも席を譲ってきたのは、譲られた人の喜ぶ顔が見たかったんだ。その笑顔を見ることで、自分も助かっていたんだ。
 たった一駅の間での出来事でしたが、私は大事なことを改めて教えられました。それは、一つの好意も、上手に受け止められてこそ、初めて好意となること。お世話になるのもまた同じで、受け方一つで、そこに助かりの世界が生まれたり、そうでなかったりするということを。う~~ん、上手に受け止めたいなあ。

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