●先生のおはなし
「誰もが持っている神様の心」

金光教気仙沼教会
奥原美紀子 先生
皆様、お早うございます。
私は、宮城県気仙沼市にある金光教気仙沼教会で奉仕させて頂いています。
2011年3月11日の東日本大震災から、早くも4年が経とうとしています。全国の皆様方から、いや全世界の皆様方から様々な形でご支援を頂きました。また大勢の方々がボランティア活動にお出でになって、助けて下さいました。その活動は今なお続いております。被災地に住む一人として心から御礼申し上げます。
今、被災地は、震災当初のあの大混乱から落ち着きを取り戻し、避難所生活から仮設住宅へと移り住み、今では自分で土地を求め、家を建てて移り住む人、地方自治体が用意した一個建て住宅、あるいは集合住宅に抽選で移り住んでいく人達がだんだんと出てきています。しかし、大部分の人達は相変わらず狭い仮設住宅で肩寄せあって生活しているのが現状です。手足を伸ばして暮らせるような、みんなそういう暮らしが待ち遠しいのです。
教会が気仙沼地区での金光教のボランティア活動の拠点になっている関係で、いろいろなボランティア活動を体験したり、見聞きする機会が多くあります。その中である一つのことに気付かされました。
私が大震災以前から個人的に関わりを持ってきた人たちで、家も、家財もことごとく無くなってしまった人達が何人もおられます。あちこちの仮設住宅で生活をしながらお世話役もしています。
ある時、外で出会って立ち話をしていると、「仮設住宅のお世話役をしていると、みんなの前では愚痴も言えないのよネ」と言われるのです。なるほど、みんなの先頭に立って一所懸命にやっていると、人の前では愚痴も言えないんだな。でもどんな人でも、疲れてくるし、忙しくなってくれば、ため息もつき、愚痴の一つも出てくるよね。そうだ。彼女達のための集まりを作らせて貰おう。
そうして私は、何人かの人に声を掛けて、早速月1回の昼食会を始めることにしました。何をどれだけしゃべってもいい、10人から始まった気楽な昼食会です。みんな昔、乙女だった頃を思い出して、「乙女の会」と名づけました。
手作りの料理を持ち寄ったり、教会の台所で作ったりして食べながら何でも話すという、楽しい集まりになりました。
津波の体験の話になりますと、涙を流しながら話し、涙を流しながら聞くという具合でした。みんな大変な体験を経て、今に至っているのです。海水にぬれながらご主人の手をしっかり握って放さなかったので助かった人。年老いた母と公民館の屋上に2晩寒さに震えながら、もう駄目か、もう駄目かと何度も思いながら、ヘリコプターに救助された人、よくぞ助かってくれたなー、という思いで聞かせてもらいました。
ある時金光教のボランティア活動が話題となりました。仮設住宅に行って餅つきをしますが、宮城県でも、岩手県でも餅文化の土地柄だけに、男の人も、女の人も出てきて餅つきに参加してくれます。賑やかに掛け声も出てきます。そんな話をしていると、「乙女の会」の皆さんも、私たちも参加してみたい、と言い出して、餅つきボランティアに加わることになりました。「乙女の会」の皆さんは被災者なのですから、何もしなくても、他人のお世話を受けているだけで良さそうなものなのに、むしろ人が助かるお役に立つことで本人も元気が出てくるようです。不思議なものですね。
金光教の教祖は、信心するしないに関わらず、「神心」は生まれながらに、どういう人にも分け与えられていると教えています。被災した人々の話を聞いて、「かわいそうだな」、「たいへんだろうな」と思える、また、「自分たちも餅つきのお手伝いをしたい」と思えるのは、まさに一人ひとりの心の奥にあった「神心」が現れ出したのだと思います。それが「乙女の会」の人々の元気の元だったのです。
東日本大震災で2万人ほどが亡くなったり、数え切れない家屋や家財が流されてしまいました。あれほどの悲惨な状況の中で、みんなが挫けてしまったかというと、そうではないのです。そんな困難を乗り越えようと一所懸命でした。それは、悲惨な状況の中にあっても、挫けない心を神様から分け与えられているからなのです。その「神心」が現れたのです。
食べるものも、着るものも、みんな流されてしまいました。それでどうなったかと言うと、分かち合い、助け合って凌いでいたのです。分け合い、助け合いの心が、どこからともなく沸き起こってきていたのです。震災当初は食べものも飲みものも、本当になかったのです。でも、小さいパンを分け合って食べたとか、水筒の水を回し飲みした話など、随分聞きました。着るものも分け合って寒さを凌いだと言います。自分さえ良ければいいと考えがちな風潮の中で、どうしてこういうことが出来るのでしょうか。不思議な話です。
家族を亡くし、家を無くし、仕事も無くしている中で、みんな哀れみ、慰めの言葉で励まし合っていたのです。
「神心」というものは、生まれながらに分け与えられているというものの、めいめいの信仰によって、教えを頂き、祈る、願う、感謝の実践によって、更に更に大きく強く成長していくものであると思われます。
大震災の極限状態の中で、「神心」は人を助け、自分を助け、共に助け合う働き合いを教えて下さったのだと思いました。