●こころの散歩道
「アイ・ラブ・ユー」
金光教放送センター
「ねえねえ、春菜ちゃんの首見た?」
「うん、見た見た。ばんそうこう貼ってるけど、あれだけたくさんだと、隠しきれないよね」
高校2年生の女の子たちの会話である。
私は塾の教師をしているが、彼女たちは、勉強よりおしゃべりが目的で来ているらしい。話題によっては、50代の私も話に加わって、アドバイスをすることも出来る。だが困ったことに、彼女たちの話の多くは、いわゆる「恋バナ」だ。その明け透けな話しぶりには、ただもう圧倒されるばかりである。
さて先ほどの話、いったい何かと思ったら、友達の首に見つけたキスマークのことだった。どうやら恋人がいるということは、一部の高校生の間で、ステータスの一つになっているらしい。それをうわさする彼女たちも、何だかうらやましそうだ。
私は思い切って口を挟んだ。
「やれやれ、目立つところにキスマーク付けて、友達に自慢したいんだろうね。だけどそういうのって、ほんとに愛し合ってることになるのかなあ」
そう言うと、「どういうこと?」と尋ねてきた。
「君たちに見えたってことは、親にも分かるってことだろう。親はそういう娘や、相手の男をどう思うんだろう。少なくとも僕が親なら、すごく嫌だな。親を悲しませて平気なカップルが、幸せになれたりするもんか。お互いの家族も、周りの人たちも含めて、大事に出来なかったら、本当に愛しているとは言えないと思うなあ」
高校生たちは、中年のオジサンの意見に、真面目に耳を傾けてくれた。そして言った。
「ほんとだね、先生。私に彼氏が出来た時には、親に見えないところに付けてもらうよ」
私は、「よろしく頼むよ」と答えるのが精いっぱいだった。
私の妻は、熊本の出身である。父親は寡黙な人で、娘が嫁ぐ時にも、教訓めいたことはほとんど何も言わなかったが、ただ一つ、あと数日で結婚式という日に、ご飯を食べながらさりげなく言った一言が、妻の耳にしっかり残っているという。
「よか姉さんにならやんばい」
私には2人の弟がいるが、その良いお姉さんになってあげなさいよ、というアドバイスである。
妻はこの言葉が、「愛情をもって家族に溶け込んでいけば、何も心配はいらないよ」という父親の温かい励ましのように思えて、とてもうれしかったと話している。
妻はその言葉を胸に刻み込んで、我が家にやってきた。当時大学生と高校生だった弟たちも、やがて結婚し、家を離れていったが、彼らは夫婦そろって、妻のことを、「お姉さんお姉さん」と慕い、今も何かと力になろうとしてくれている。
鈴子さんは72歳の時、83歳の明男さんと結婚した。超高齢結婚である。もともとご近所同士で、家族ぐるみの付き合いをしていたのだが、お互いに連れ合いを亡くし、その後も食事に呼んだり呼ばれたりしているうちに、一緒に暮らすようになった。ところが明男さんが脳溢血で倒れて入院。鈴子さんは、その介護をするためにヘルパーの資格を取り、さらに必要に迫られて籍まで入れることになったのだった。
「その年になって、どうしてわざわざそんな苦労をするの」と聞かれると、「この人の天使になりたいから」と笑って答える鈴子さんは、いつしか近所の人たちから、親しみを込めて「天使ちゃん」と呼ばれるようになった。
結婚から4年経った今、明男さんは杖に頼らず歩けるまでに回復している。
「私はまだまだ長生きしますよ。何しろ、私には天使ちゃんがついてますから」と明男さんは言う。
リハビリのため、夫婦手をつないで散歩するのを日課にしている2人。その姿はまさに、熱い愛で結ばれた新婚夫婦である。
愛するとは、どうすることを言うのだろう。
人は皆、多くの人たちとの関わりの中で生きている。またいろんな記憶や経験、予測出来ない未来も抱えている。人間はそう軽いものではないのだ。
その全てを含めて相手を受け止め、運命を共にする。それが人を愛するということではないかと思う。