●シリーズ「あなたへの手紙」
第4回「神の実感/食事の戒律」

金光教放送センター
おはようございます。大阪にある金光教枚方教会の四斗晴彦です。
まずは、高校生のハジメ君からの質問です。
「僕は今、高校生です。スピリチュアルな世界に興味があり、大学では宗教学を学びたいと思っています。でも、実際に神様を感じたことはありません。金光教の人はどんな時に神様を感じるのか教えてくれませんか?」
このような質問です。
ハジメ君、おはようございます。
私は、金光教の教会に生まれ、神様を拝むことが当たり前の環境で育ったのですが、高校、大学と進学するころには、形式的に神様を拝むことはあっても、神様を感じたりすることはなかったんです。その後、サラリーマンになってから数年が経ち、いろいろな悩みの中で、真剣に神様を意識するようになりました。そんな時、次のような内容に出会ったんです。
「金光教の教祖は、農業をしながら長年信心をし、天地自然の息吹きの中に、あらゆる物を生かし育む生命力を感じ取り、天地のすべての物をその根源から成りたたせている働きを神ととらえた」
私はこの瞬間、神様に対する考え方に革命が起こりました。それまでは「神様がいるのか、いないのか」ばかりを考えていたのですが「いる」とか「いない」じゃなくて、動物や植物が生きている働きが神様そのものだったのです! ものすごい解放感を覚え、それからは世界がなんだか違って見えました。
例えば、ハジメ君が歩いていると、道端に花が咲いていたりしますね。その花は、土から芽が出て、根を張り、いつしか花を咲かせるように成長します。その成長する働きに神様を見るのです。
それから私は、金光教の教師になり、次のような教えを知りました。
「天と地の間に人間がいる。天は父、地は母である。人間、また草木など、みな天の恵みを受けて、地上に生きているのである」
私が神様を感じるのは、知らぬ間に咲いている花を見た時、風に揺れる木々の音を聞く時、自分の体が暑さや寒さを感じる時など、本当に素朴な身の回りの出来事なんです。
ハジメ君、胸に手を当ててみて下さい。ドクン、ドクン。心臓の鼓動が伝わってきますね。あなたは今、生かされているんです。
もしハジメ君がもっと神様のことを知りたくなったら、近くの教会を訪ねてみて下さい。教会の先生はいつでもあなたの話を受け止めてくれますよ。では、これからしっかりと勉学に励んで下さいね。
続いては、30代の男性、ジロウさんからの質問です。
「宗教というと、肉を食べたり、お酒を飲んではいけないというイメージがあるのですが、金光教では食べ物や飲み物に関してどのように教えているのでしょうか?」
このような質問です。
ジロウさん、おはようございます。
そうですね、ジロウさんがイメージされているように、これを食べてはいけない、あれを飲んではいけない、という教えを持つ宗教もありますね。それぞれに宗教上の理由があって、それは尊ぶべきものです。
金光教には「食物はみな、人のいのちのために天地の神の造り与えたまうものぞ。何を飲むにも食べるにも、ありがたくいただく心を忘れなよ」という教えがあり、あれを食べてはいけないとか、これを飲んではいけないということはありません。食物は天地の恵みであること、命そのものを頂くこと、食物に携わる人たちがいることに感謝を捧げます。
金光教の教祖は、幕末から明治にかけて、その生涯を全うしました。汚れている、清らかではない、などという理由で食べ物や飲み物に制限があった時代です。明治の初めまで肉を食べることもその一つでした。そんな時代にあって、教祖は、どんな物をもありがたく頂くことこそが本当の人間の生き方であることを実感し、そう教えました。我々の命を支えてくれる食物の向こうに、神様を見ていたんですね。
また、私は映画や本を通して、牛や鶏、魚たちを育て、私たちの食卓に届けてくれる方々の思いを知りました。愛情をもって、1頭1頭、1羽1羽、1匹1匹の命を大切に育てておられるのです。私たちは、その命を頂いているのです。
「生きることは食べること」という言葉を聞いたことがあります。食物を通して、たくさんの命のお世話になって、私たちは今ここにいます。「あなたに食べてもらって良かった」、頂く命にそう思ってもらえるような食事が出来たら幸せですね。
ジロウさん、「直会」という言葉をご存知ですか? 直会とは、直接の「直」に、「会社」の「会」と書いて、「なおらい」と読みます。神様に食物をお供えし、お参りした人がみんなでそのお供えした物を食べたり飲んだりして、神様の恵みを共に頂くことです。
ジロウさん、「いただきます」と言って食べる時、一瞬でいいので、頭の中で今から頂く食物を神様にお供えしてから召し上がってみて下さい。これまでよりもきっとおいしい食事になりますよ。