寝坊してしまった


●取次を頂いて
「寝坊してしまった」

金光教万代ばんだい教会
松鷹真彰まつたかまさあき 先生


 皆様おはようございます。朝早い時間にラジオを聞いて下さりありがとうございます。今朝は、私が早起きが苦手で悩んでいたころの話をしたいと思います。
 私は、平成元年3月に高校を卒業後、大阪にある金光教の教会で修行をすることになりました。
 教会では、毎日神様にお祈りをすることはもちろん、お掃除をしたり、教会の先生のお仕事を手伝ったりしていました。また、実際にお参りに来られた方のお話を聞かせてもらったり、信者の方々の前でお話もしました。更に、祭典に参列したりもしました。
 高校生のころとは生活が一変し、着たことのない着物での生活、そして慣れない正座で足の痛みに苦しみ、何より、早起きは眠気との闘いでもあったのです。
 早起きがとても苦手な私は、寝坊をすることがよくありました。
 修行生活にも慣れたころ、寝坊をし、朝のお祈りの時間に遅れる日が何日も続き、教会の先生から、「もう帰れ」と叱られました。その時に、先生にお願いして、岡山県にある金光教の本部に参拝することを許してもらいました。本部では神様をおまつりしている所に、毎日早朝から夕方まで金光教の教主である金光様がおられ、誰のお話でもいつも聞いて下さるのです。
 本部に到着後、「明日は、金光様がお出ましになる午前3時50分には必ず起きて行って、お話をさせてもらおう」と思い、本部近くの宿舎で寝床に入りました。
 ところが、「明日は早起きをしなければいけない」と思えば思うほど、なかなか寝付くことが出来ません。いつの間にか眠っていたのですが、しばらくして、目が覚めた時には、時計はすでに5時を回っていたのです。
 「また寝坊してしまった」という思いが頭を巡りましたが、とにかく急いで本部に向かいました。こんな大事な時にも寝過ごしてしまい、落ち込む気持ちと情けない気持ちで神様にお祈りをして、金光様の所へ進み、「朝寝坊ばかりするので、早起きが出来るようにならせて下さい」とお話をしました。
 すると、金光様は、「あなたは起きられた、起きられなかったということにばかり目がいって、『目が覚めた』ということにお礼を申していないでしょう。今日の命があるからこそ、ここへも参ることが出来たんでしょうが。
 あなたは眼鏡を掛けていますが、その眼鏡にお礼を申していますか? 私は、眼鏡が無かったら見ることが出来ないのですから、眼鏡にも、『お世話になり、ありがとうございます』と、お礼を申しながら拭かせて頂いています。何事も順序があります。服を脱ぐにも上着から順番に脱いで最後に下着を脱ぐでしょう。順序を間違えたら、服を脱ぐことも出来ません。
 金光教の教祖様は、『木の切り株に腰を下ろして休んでも、立つ時には礼を言う心持ちになれよ』とおっしゃられました。その教祖様というお手本に添って生活させて頂く稽古をするのです。
 お世話になるすべてにお礼をする生き方が教祖様の教えて下さったことです。それに添った生き方をすることが修行成就につながります」と教えて下さいました。
 それまでの私は、目が覚めることは当たり前のことだと思っていました。ですから、目が覚めた時に、「起きられた」とか、「寝坊してしまった」ということしか思わず、目の覚めたことへのお礼など考えたこともありませんでした。
 このように、金光様から、「お世話になるものへのお礼」ということを教えてもらうと、すぐに、ものの見方が変わりました。目が見えること。耳が聞こえること。歩くことが出来ること。トイレでおしっこが出来ることなど、それまで当たり前だと思っていたことが、本当は当たり前ではないのだ、ということに目が向くようになりました。
 そして、教会へ帰る道中も、洋服や靴のお世話になっているのだな。イスのお世話になって座ることが出来るのだな。電車のお世話になって、電車を運転してくれる人がいるから帰ることが出来るのだなと、私たちの周りにはお礼が出来ることがたくさんあるのだと気付かせてもらいました。
 大阪の教会へ帰り、先生に本部で金光様から教えてもらったことを報告すると、「とても大切なことを教えてもらいましたね。そのことを忘れないように、これから早起きを頑張りましょう」と、お許しを頂くことが出来ました。
 その後も寝坊することはありましたし、早起きが苦手なことに変わりはありませんでした。ですから、朝、目が覚めても、「眠たいなあ。もう少し寝ていたい」という心が先に出てきて、すぐにはお礼の心が出てこないこともありました。
 それでも、一日の初めに、神様に手を合わせる時、まずは、「今日も命を頂きありがとうございます」とお礼を申すことを心掛けていきました。すると、お礼の心が出やすくなっていったように思います。
 以前は生活の中で、当たり前だと思っていたことが色々とありましたが、今では何事も決して当たり前ではなく、本当にありがたいことなのだと分かってきました。
 これからも、人や物のお世話になって生活が出来ていることにお礼を申し、感謝させて頂きたいと願っています。

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