●信心ライブ
「祈りから生まれる世界」
金光教放送センター
(ナレ)金光教の集会で行われた発表や講話などを録音で紹介する「信心ライブ」。
今日は、平成16年4月に、岡山県にある金光教本部で行われた「朝の集会」で、金光教高蔵教会の田中竜彦さんがお話されたものをお聞き頂きます。
(音源)ある先生が、実際に経験されたことをお話し下さって、私も取り組んでみたということを一つお聞き頂きたいと思います。
電車の中での1コマでありますけれども、4人掛けのボックス席にご婦人が4人座って何やら話をしておられたそうです。そのちょっと離れたところに、その先生が座っておられた。そのうちに1人のご婦人がお嫁さんの悪口を言い出すんですね。
そうしますと、ああいう話というのは、どんどん広がっていくのか、それぞれに、おられたご婦人がお嫁さんの悪口を言い出したそうです。まさに鬼の形相で、「うちの嫁はねえ…」と、こういうふうに、やりだしたそうです。で、その姿を見て、その先生は、「どうか、この人たちの心が助かるように」と、その場でご祈念をされたそうです。しばらくご祈念をしておられると、その中のご婦人の一人が、お嫁さんの良いところを言い出した。そうしますと、他の方々も次々にお嫁さんの良いところを言い出して、次第に嫁自慢になっていったというんですね。
そういう話を聞かせて頂いて、しばらく経った時にですね、私は自分が検査のために、病院へ行かせて頂きました。その病院で、3人のご婦人が長椅子に掛けて、何やら話をしておる。私は検査結果待ちで、ちょっと離れたところに座っておったんですが、黙って聞いておりましたら、看護師さんの悪口を言い出すんですね。自分の担当をしている看護師さんを…。
「私の看護師は注射が下手だ」とかですね、「私の看護婦は、口がきつい」とかですね、そういうことを言い出した。そんなことをずうっとしばらくやっておりました。
その時に、ふと、前の話を思い出して、「あっ、前に先生に聞かせて頂いた電車の中の話と、シチュエーションが一緒だなあ」と思いましたので、私も、真似ではありますけれども、「せっかく病院に来て体を直して頂くのに、心の病気を持って帰っては気の毒だなあ」と思いまして、その場でしばらく、「心が助かりますように」と、「お世話になっとる気持ちが生まれてくるように」というふうにご祈念させて頂いておりましたら、同じように、自分でもびっくりしましたけれども、一人の方が、「いや、私の看護師はね、苦しい時に声を掛けてくれたよ」と、こういうことを言い出すんですよね。そうすると、また次の人が、「私の看護師はね、大したことはないけれど、血圧測るのは上手だよ」とかですね、そういうふうに、自分の担当の看護師さんのいいところを語り出し合った。
「ああ、こういうことが生まれてくるんだなあ」と、私自身、それを通しまして、感じさせて頂きました。
私たち人間は、神心を頂いて生まれてきておりますけれども、教祖様が、心の鬼ということをおっしゃっておられますね。神心という良い心をもっておるんですけれども、心の鬼と言われる、良くない心も持ち合わせているんではないかなあと、こういうふうに思います。
そして、これも以前聞いた話なんですが、良い心と悪い心があって、例えば悪い心になっている時には、悪い心が100で良い心がゼロではない。悪い心が51で、良い心が49。ですから、ほんとにわずかの差。その差を行ったり来たりしとるのが、私たち人間なんだと。ですから、そのわずかの差のところにですね、「祈り」という光を当ててあげれば、わずかな差ですから、49と51が逆転をする。良い心の方に逆転をする。心の鬼が影をひそめて、神心が上回って今の看護師さんや、列車の中での出来事を例えれば、悪い心が影を潜めて神心になって、褒め合いになっていったというように思わせて頂きます。
まさに、そこにおられた方々の中に、神様が現れて下さったんではないかなあ、と思います。
ささやかなことではありますけれども、こんなことはと思わずに、人知れず、ささやかでも祈らせて頂くということによって、その時、その場に神様が生まれて下さる。教祖様が、「生神とは、ここに神が生まれるということで、皆も同じようにおかげを受けることが出来る」というふうに教えを残して下さっていますが、まさにその通りではないかなあというふうに思います。
(ナレ)いかがでしたか。電車の中や病院の待合い室で、たまたま居合わせた人のことを祈る。誰にも気付かれない、目に見えない、ささやかな行いですが、何か温かくて、確かな、祈りの力を感じます。
他人のことなんて関係ない。そんな風潮もありますが、見ず知らずの人のことでも、祈りを込める。そんな人が、1人、2人と増えていけば、この世の中はもっと温かく、優しい世界になるのではないでしょうか。