●先生のおはなし
「先生への手紙」

金光教鳳教会
工藤由岐子 先生
人生には色々な出会いがあります。今日はちょっと恥ずかしいのですが、私の子どもの頃の話をします。
もう35年以上も前のことですが、私の心を変えて下さった担任の先生がいました。その方は、木村吉男先生といいまして、私が小学校5年生の時、36歳の先生でした。その先生との出会いが、現在の私につながっているような気がします。
小学校4年生までの私は、極度の人見知りでした。兄弟がいなくて、しゃべることが出来たのは、両親と近所の友達1人だけでした。学校という集団の場が怖かったのか、朝ランドセルを背負って家を出、学校が見えた途端、緊張が走って体がこわばるのです。
教室に着いても、誰ともしゃべれません。いつも一人で座っていました。私に話し掛けてくる人もいませんでした。たまに、いじわるな男子が、私に向かって、「おい、お前は何でしゃべらへんのや、口があるのに」とからかってくることはありました。
一番イヤだったのが、給食の時間でした。緊張していてのどを通りにくかったので、食べるスピードが遅く、先生も困っていたと思います。一生懸命食べていたのですが、つらい時間でした。どんな場面でも私は、苦しいとかつらいとか、そういう感情を言葉にも顔にも出せませんでした。
新学期になると毎年、受け持ちの先生の家庭訪問がありますが、いつも私のそういったところが問題になっていました。親はとても心配だったと思います。私は家の中では力が抜けて、おしゃべりをし、ご飯もおいしく頂いていました。けれど自分からは、学校の話をしなかったと思います。母はいつも様子を聞いてくれましたが、どう返事をしていたのか、あまり覚えていません。両親は一人娘の私のことを心配し、毎日、神様に祈ってくれていました。「どうか、娘の心が開いて、素直に思っていることを表現出来ますように」と。
月日が経ち、私は5年生になりました。そこで木村先生という、私にとれば運命の方と出会いました。先生は穏やかな人でしたが、授業で冗談も言われる、明るい先生でした。先生は新学期、クラスの人全員に、ノートを1冊用意するよう言われました。
そのタイトルは「先生への手紙」でした。授業のことでも友達のことでも、自由に書いて下さいと言われました。宿題ではなく書きたい時に書いて、先生の机の上に出しておけば、お返事を頂けるのだそうです。思ったこと感じたこと、何でもいいので、と聞いた時、何か私の心が動きました。私は先生とも全然おしゃべりが出来ないけど、書くだけなら先生の顔を見なくていいし、気持ちが楽かもと思いました。
最初に何を書いたのか、覚えていません。ただ先生がいつも、私が書いた文と同じ位の長さで、丁寧にお返事を下さったことが、子ども心にも胸を打つものがありました。何度か先生と、やり取りをするうち、だんだん私の心が開き、大きな変化が起きてきました。
1学期のプール開きを前にした、そんなある日のことです。私はついに、先生にこんなお願いをしたのです。その当時の記録がありますので読みます。「先生へ。お願いがあります。つらいことがあります。私は5年生なのに泳げないのです。私だけかもしれません。みんなスイスイ泳いで先に上がってるのに、私だけが一人で中で歩いています。そんな時、情けなさや悔しさで悲しくって泣きそうになります。だから先生お願いです。プールの時間に教えて頂けないでしょうか。まず、顔をつける基本練習からお願いします」と、書きました。
すると先生から、こう返事がきました。「分かりました。先生も頑張ってみましょう。きっと泳げるようになりますよ。他人に出来ることが自分に出来ないはずがないと信じて下さい。先生は今、黒く日焼けしたうれしそうに笑っているあなたの姿、顔を思い浮かべています。頑張りましょう!」。先生のお返事を読んで、飛び上がる程うれしかったです!
数日たったある放課後、私と一緒にプールに入って下さり、レッスンが始まりました。私の難関は、伏し浮きでした。水が怖くて体を横たえるということが、なかなか出来なかったのです。
そんな私に、先生は力強く言って下さいました。「だいじょうぶ! 先生が見てるから! 神様も一緒だよ!」。先生の言葉に導かれて、私は顔をつけて、がっ! と前にいきました。あっ浮いた! あれ? 怖くない…気持ちがいいと思った瞬間、先生の大きな声が聞こえました。「そうそう、そのまま、足をバタバタする!」。私は言われるまま、しました。夢中で手も動かしました。息が苦しくなったところで立つと、5、6メートル進んでいました。初めて泳いだ時の感覚…今でも忘れられません。
不思議だったのは先生が、「神様も一緒だよ!」と言われたことです。親からはよく聞いていましたが、なぜ先生が言うんだろうと、後になり思っていました。もしかしたら、先生への手紙の中で、私の家が金光教の教会であることを話していましたのでその言葉を使われたのかもしれません。
私はこの日を境に、緊張がとけ、自然と笑えるようになりました。友達も出来ました。ほんとうにうれしかったです。私がここまで頑張れたのは、陰で私を心配し、ずっと祈ってくれていた両親の影響もあったんだと、今では思っています。
「先生への手紙」の中で、私はまず、素直な気持ちを表すきっかけを頂きました。そして最初の夢が叶いました!
神様が私を助けようと、木村先生を連れて来て下さったのかもしれません。