●信者さんのおはなし
「神様は見放さない」
金光教放送センター
香川県坂出市に住む金光美子さんは、50歳の時に、通信制の高校に入学しました。美子さんにとって、その入学は、生きる意味を必死に探る、命のもがきとも言えるものでした。
美子さんには、のぞみさんという中学2年生の娘がいました。勉強もスポーツもよく出来、学校でも人気者でした。親思いの素直な子で、学校での作文に、「わたしの宝物は命です。なぜなら、父や母が一生懸命育ててくれた命だからです」と書いていました。その命が、作文を書いた数日後、交通事故で突然失われたのです。
お葬式が終わった時、美子さんは、生きる気力をすっかり失って、家から一歩も外へ出られなくなっていました。ずっと娘の霊前に座り込み、泣きながら名前を呼び続けました。
美子さんはそれまでの数年間、金光教の教会に毎日お参りしていて、娘がすくすくと成長していくのも、神様のおかげと感謝していました。それだけになおさら、娘の死はどうしても受け入れることが出来なかったのです。
自宅の神棚に物をぶつけながら、「どうしてのぞみを連れて行った! 殺すなら私を殺せ!」と叫びました。教会への参拝もぷっつりと途絶えてしまいました。
そんな美子さんを、中学校の校長先生は何度も訪ねて来られました。そして、「のぞみさんが他の子たちと一緒に卒業出来るように、出来るだけのことをします」と言われたのです。
新学年を迎えると、亡くなったのぞみさんは、校長先生の配慮で、3年生のクラスに組み入れられました。体育祭、文化祭など、学校の行事があるたびに、校長先生はのぞみさんの写真を迎えに来られ、修学旅行中も、写真を片時も離さず胸に抱いて下さっていました。またクラスの担任の先生も、命日には子どもたちと一緒に、家を訪ねて下さるのでした。
娘の魂は今も多くの人たちと共に生き続けている。その確信が、美子さんを力づけていきました。そして卒業式が近づいた頃のこと。
「娘は高校にも行きたかっただろう。その願いを叶えてやりたい。そうだ、私が…」
校長先生に相談すると、先生は大喜びで激励して下さいました。こうして美子さんは、隣町の通信制高校に入学することになったのです。
通信制とはいっても、月に数回、登校日があります。家にずっと引きこもっていた美子さんも、この日ばかりは、娘の写真を身に付けて、学校に出掛けていくのでした。
通信制高校には、さまざまな事情や悩みを抱えた人たちが来ていました。中には、学校まで来ても、教室に入る勇気が出ない人もいます。勉強に意欲が持てず、せっかく入った高校をやめようとしている人もいました。
かつての美子さんなら、そういう人を見ると、意志が弱いとか、親の教育が悪いなどと批判的な思いを抱いたかもしれません。しかし、自分で自分が思いどおりにならないこともあると知った美子さんのまなざしはどこまでも温かく、「焦らなくていいのよ」と、優しい言葉を掛けるのでした。
いつしか美子さんは、若いクラスメートたちから、母親のように慕われる存在になっていました。担任の先生も、「金光さんのおかげで学校に来ることが出来ている生徒も多い」と、お礼を言われるほどでした。
部屋に閉じこもって何も出来なかった美子さんが、いつの間にか、みんなから頼られるまでになったのです。勉強にもやり甲斐を感じ、学校に行くのが待ち遠しいぐらいになっています。
これは美子さんにとって信じられない変化でした。よくぞここまで、と思ったその時、ハッと気付いたのです。
娘のためにと、自分の考えで高校に入ったつもりでいたけれど、すべて神様がお計らい下さったことではないだろうか。あの校長先生も、担任の先生も、娘のクラスメートたちも、みんな私を救うために神様が差し向けて下さっていた。そして今度は自分自身が、悩める若い人たちに向けて、神様に使って頂いているのではないだろうかと。
美子さんは、教会にお参りしていた頃、「神様は人を使いとなさる」と教えられていたのを思い出していました。
さらに、こんなことにも思い至ったのです。
「私は神様ばかりを恨み続け、怒りをぶつけてきた。そのせいか、加害者を憎む気持ちが少しも起こらずに済んだ。もし憎しみが人に向かっていたら、自分はどんな人間になっていたことか。神様が一人悪者になって、黙って泥を被って下さっていたおかげで、私の今の幸せがある」
神様の深いお計らいと慈しみの中に生かされていることを思い、美子さんの胸の中に、熱いものが込み上げてくるのでした。美子さんは再び、教会に毎日参拝するようになりました。
のぞみさんが亡くなって13年経った今も、美子さんの家には、のぞみさんのクラスメートだった人たちが、「おばさんに会うと元気をもらえる」と言いながら訪ねて来ます。悩みを抱える若い人たちの相談相手になることもしばしばです。
「どんな時だって、神様が私たちを見放されることはないんですよね。いろんな人たちを動かして、何とか助けてやろうとして下さっている。その神様のお心を知ってもらいたいなあと、いつも願いながら、話をしているんです」と、美子さんは語ります。
我が子を失った悲しみは、決して消えることはないでしょう。しかし、つらい体験をとおしてつかみ取った幸せを、さらに大きく広げていくことが、自分の命と共に、我が子の命を輝かせることにもなるのだと、美子さんは信じているのです。