●信者さんのおはなし
「難あってありがたし」
金光教放送センター
大分県の金光教臼杵教会に参拝する森﨑司さんは、御年75歳。60年続けている洋服のリフォームの仕事は今も腕は確かで、精度の高い紳士服を丁寧に仕上げていきます。
森﨑さんの一日は、毎朝教会に参拝し、今日も新たな命を頂いていること、健康であることを神様にお礼することから始まります。信心の切っ掛けになったのは2歳の時、小児まひになったことからだと仰いますが、実際にはその後、いくつかのご不幸を経験した後に、金光教に出合うことになります。
昭和15年、森﨑さんは8人兄弟の末っ子として、大分県の佐伯という町で生まれました。海と山に挟まれた半農半漁の町で、当時はリアス式の美しい海が広がっていたそうです。
そんな素晴らしい環境の中で、家族の愛情を一身に受け、元気いっぱいに育つはずでしたが、2歳の時、突然高熱に襲われました。熱は2、3日経っても下がる気配がなく、お医者さんの診察を受けても風邪の処置を施されるだけで、一向に良くなりません。
心配になったお母さんは、遠く離れた病院で診てもらうことにしましたが、いくつかの病院を転々とするものの原因が不明。病名さえも分からないまま時が過ぎました。仕方なく自宅に帰って様子をみると、あれほど高かった熱も次第に下がりだしました。ところが、安心したのもつかの間、異変が起きます。
「あら、この子、足が立たんわ」。布団の上で、必死で立とうする我が子を見たお母さんのショックは、並大抵のものではなかったでしょう。診断の結果は、小児まひで、左足がまひして足に力が入らなくなっていました。
その翌年、不幸なことにお母さんは子宮がんを患います。森﨑さんが障害者として苦労するであろうことを、誰よりもつらく思い、そのことに責任を感じていました。「司を頼む」と家族に言い残して、お母さんは亡くなりました。不幸は続くもので、さらに数年後、お父さんも肝臓がんで亡くなってしまいます。
自分の病気が両親に心配を与え、その上、両親を亡くしながら、自らは命を失うことなく生かされている。このことに深い意味があろうとは、まだ子どもの森﨑さんには知る由もありません。後に、一生死なない親ともいえる「天地の親神様」に出会うことになるまでは…。
15歳になった時、森﨑さんは家庭の事情から就職をすることになり、洋服店で見習いとして働くことにしました。技術を身に付ける仕事の方が将来、社会的な自立がしやすいと考えたからです。当時の洋服店は、親方の指導の下、住み込みで修行をするという形が普通でした。そして、たまたまその店の経営者ご夫婦が金光教の信者さんだったことで、森﨑さんの心に一条の光が差し込みます。それは教会に導かれ、祈り、祈られての生活の始まりでした。
洋服店のご夫婦はとても優しい方で、いくら失敗や間違いをしても許してくれたそうです。見習いとして7年間修行し、職人として数年間働いた後、お店の向かいにある婦人服店に勤務していた女性と結婚。そして、いよいよ一人前の職人として独立、注文服の洋装店を開業することになりました。
ところが、昭和40年代から大量生産される安価な既製服が大半を占めるようになり、注文服の需要は年々減少していきます。やがて仕事の注文も無くなり、子育ての時期とも重なって生活が苦しくなりました。やむを得ず、生活保護の手続きを市に提出することを考えた森﨑さんは、そのことを教会の先生に相談したのです。
しかし、先生から、「3度の食事が食べられたらありがたいと思って、もう少し辛抱してみなさい」と励まされ、手続きを少し待ってみることにしました。すると、ちょうどそのころ、市内にオープンしたデパートの洋服担当者から、「ズボンの裾上げなどしてもらえませんか」と、仕事の依頼があったのです。まさに、渡りに船とはこのことで、その後の生活が安定していきます。
それからの森﨑さんは、毎朝、欠かさず教会に参拝するようになりました。教会では、お話を聴き、教えに基づいて、家業をおろそかにしないよう心掛けます。『家業は信心の行、家業をありがたく勤めれば、ありがたいおかげが受けられる』という教えは、現在も職場の前に掲げて座右の銘にしているそうです。
仕事に掛かる前には、「どうぞ間違いのないように」とご祈念し、仕事が終わるとミシンなどの仕事道具や、針に糸を通すのに必要不可欠な眼鏡に対しても、お礼を申し上げるといいます。森﨑さんは、「信心させて頂いていると、物に対しても人に対しても、お礼の心が湧いてくるのがありがたいことです」と言いますが、その言葉が、自然に心に響きます。
森﨑さんは続けます。「障害があったとしても、色んな人が助けてくれたおかげで、それを苦にすることもなく、今の幸せな毎日を過ごすことが出来ています」。
金光教には「難はみかげ」という言葉があります。障害を持ちながらでも多くの人に支えられ生かされている。その働きに気付かされたことが有り難く、そのことがおかげにつながっていくということを真実として実感されています。
「私が現に助けられ、助かりの証拠があるものですから、生きている間に1人でも2人でも信心を勧めたい。そして、どうしても信心して助かってもらいたい」。これが今も持ち続けている、森﨑さんの強い願いです。