●先生のおはなし
「ああ、神様!」

金光教静岡教会
岩﨑弥生 先生
その日私は、金光教の集会でお話をすることになり、新幹線と在来線を乗り継いで、会場に向かいました。自宅から会場まで約2時間。お話をするということに慣れていない上に、初めて行く土地なので、緊張しながら出掛けて行きました。
会場にはすでに大勢の人が集まり、「この人が今日の講師なのかしら」という視線に私はさらされながら、用意された席に付くと、さらに緊張感が増してくるのでした。
「はぁ…神様!」
いよいよ私の番です。「皆さん、こんにちは」と笑顔で語りかけると、会場の皆さんの目が、一斉に私を見ます。この瞬間から、なぜか私のスイッチが入り、緊張は吹き飛びました。せっかく時間を作り、お話を聞きに来て下さった方々に、何かお土産を持って帰ってもらわなければと、気合いが入るのでした。
約30分間、お話をさせて頂きました。ほとんどの方が、目をそらさずに、大きくうなずきながら、時には、メモを取りながら話を聞いて下さいました。
話を終え、「共感出来た」とか、「色々考えさせられた」という声を聞き、私自身、このお話をして良かったと胸をなで下ろしました。
ずっと準備をしてきたことが終わり、聞かれた方々の反応も良く、私の気分は、満足感と解放感でいっぱいでした。
その後、私は、今日の集会を主催された関係者と会食をしました。一つのことをやり終えた解放感と、充実感でお酒も進みます。お料理もおいしく、皆さんに褒めて頂き、楽しい会話と共に和やかな時間を過ごしました。
帰りの時間になりました。在来線に乗り、もと来た道のりを、行きの緊張していた気持ちとは全く違う、力が抜けた感じでガタゴト電車に揺られていました。知らぬ間に眠ってしまい、ふと気が付くと乗り換える駅です。急いでホームに降り立ちました。そこから、新幹線の改札口に向かい、往復で買った乗車券を出そうとしたら、無いのです。「切符が無い!!」。バッグの中、上着のポケット、頂き物の紙袋の中、どこを探しても見付からないのです。先ほどのほろ酔いも、充実感も、安堵感も、一遍にみんな吹き飛んでいきました。在来線で落としたのか、それとも…色々考えても今となっては後の祭りです。さっきまで、いい気になっていた自分が恨めしく、心の中で何度も自分の頭を叩きました。
でも、そんなことをしていても、帰りの新幹線の時刻は迫っているし、どうにかして帰る手立てを考えなければなりません。駅員さんに事情を話すと、もう一度、乗車券を買い直すしかないと、無情にも言われます。
ただ、切符が出てきた場合、220円を支払えば、乗車券代は戻ってくるというのです。落ち込む一方の私は、切符が出てくるなんて考えられません。もう一度、帰りの乗車券を買い直し、とりあえず予定の新幹線に乗り込みました。
帰りの車中、私は、落ち着いて今日一日のことを振り返りました。朝、私は、帰りに慌てることのないように乗車券を往復で買いました。乗車する時にはあったのだから、やっぱり在来線で落としたとしか考えられません。あの時眠ってしまったから…それにしても私って、なぜ自分のしてきたことを最後の最後に台なしにしてしまうんだろう。
「ああ、神様…」
家に着いてから、私は、夫の顔をまともに見られません。どうしても切符を無くしたことが夫に言えないのです。お金を損してしまったことは、申し訳ないのですが、自分が情けないと思っているところに、さらに叱られたくない気持ちで言えなかったのです。
次の日、目が覚めても状況は変わりません。が、朝になってからは、私の「やらせてほしい」という神様の御用を優先して、いろいろ協力してくれる夫の思いも台無しにしてしまったようで、本当に申し訳なく、情けなく、また、言えずにごまかしていることが、後ろめたく思いました。
「昨日の話。どうだった? 喜んでもらえたか?」。優しい夫の聞き方に、心が揺さぶられ、「もう、今言うしかない」と覚悟を決めました。夫としてではなく、教会長として話を聞いて貰おうと思い、ご神前で私は一部始終を話しました。
改めて振り返れば、なんだ切符を無くしただけのことと思えばそれまでですが、私には、何か大事なことを神様が私に気付かせ、私の生き方の改まりを促されているように思いました。すぐにいい気になり、神様のお嫌いな慢心になる私。結果、台無しにしてしまう私。私の昨日のお話も皆さんは喜んで下さったけれど、神様には、はねつけられたのかもしれないように思えてきました。
電話が鳴ったのはその時です。昨日の私のお話が良かったので、冊子に載せたいがどうか、という問い合わせでした。何というタイミング。もし、私があのままごまかしていたら、どうだったのだろう? 失敗はごまかせても、自分の心の癖はごまかせない。そこに気が付いた時、神様は応えて下さったようにも思いました。あまりにももったいなく、神様に御礼申し上げました。これほどまで神様に許して頂いている私、慢心してしまう自分であることを忘れてはならないと思いました。
そして、その日の午後、駅員さんから連絡があり、あの切符が届けられたということでした。
「ああ、神様!」