最高最大のおかげに


●先生のおはなし
「最高最大のおかげに」

金光教熊内くもち教会
妹尾民子せのおたみこ 先生


 平成15年9月、当時33歳の息子が、「胃の調子が悪い」と言って近くのお医者さんの診察を受けました。数日後、医院から総合病院を紹介されたので、私も一緒に病院へ行きました。診察して下さった先生から、「胃潰瘍かいようが大きくなっているので、手術した方がいいですね」と言われました。しかし、それは息子の前だけであって、私にはスキルス性の胃がんであると告げられました。診察を終え、病院から出て行く息子の後ろ姿を見て、「なぜこの子が…」と、何とも言いようのない思いでいっぱいでした。
 息子のことを考えると、ふびんでいとおしくてたまらない。何とかしてやりたい。代われるものなら代わってやりたい。いくら思っても仕方がないことですが、これが親の心情でしょう。それでも現実を受け止め、全てを神様にお任せしていこうと決心しました。
 翌月、息子は6時間に及ぶ手術を受けました。術後、先生から、「胃と脾臓ひぞうを全部切ったが、リンパ節の所が少し取り切れてない。腹水を検査します」と説明がありました。
 後日、検査した結果、末期がんで余命半年と宣告されたのです。私はショックで、その夜は一睡も出来ませんでした。やるせない思いを神様に向けずにはおれませんでした。「神様、順番が違います! これもおかげなんですか? 私にはこれ以上の悲しみはありません。それでも神様が、『これがおかげじゃ』と仰せなら、何にも代えられない最高最大のおかげにして下さい」と、必死にご祈念しました。すると、不思議な程、心が落ち着き、それ以後は、「今日の命をありがとうございます。後々のこと、よろしくお願いします」と願い続けました。
 余命半年と言われた息子は次第に元気になり、5カ月を過ぎたころには、本人も社会復帰を考える程になりました。しかし、やがて食欲が無くなり、高熱が出て、再び入院することになりました。
 「来るべき時が来たのか…」。私は覚悟しました。熱は1週間経っても下がらず、焦る心を神様に預けて、状況が動くのをひたすら待ち続けました。
 そうして2週間が経ったころ、やっと発熱の原因が分かりました。なんと、息子は結核にかかっていたのです。私はがくぜんとして、「神様! どこまで私たちを苦しめるのですか」。心の中で泣きながら、「これも神様のご都合なんですよね」と、問い掛けずにはいられませんでした。
 結核は伝染病なので、遠方の専門病院に転院しました。その病室で、「こんなに遠い所まで来て、もう俺は嫌や」。辛抱強い息子が初めて弱音を吐きました。ベットの上で肩を落とし、うつむいていた息子の頭を私は思わず抱き締め、「そうやねえ…」と言った後、言葉が続きませんでした。息子の気持ちが痛いほど分かりながら、何もしてやることが出来ません。しばらく抱き締め、ようやく、「心配せんでいいよ。神様は、必ず家に連れて帰って下さるから」。そう言うのが精いっぱいでした。
 主治医の先生からは、「この病状では6カ月以上掛かります。体力が持つかどうか分からないが、最善を尽くします」と説明を受けました。
 転院から3日目に熱が下がり始め、驚異的な回復を見せ、3カ月余りで退院出来ました。家に帰る車の中で息子は、「今日退院出来たのは、みんなのおかげやなあ。母さん、ありがとう」と涙を流していました。その言葉に張り詰めていた私の心が和みました。
 しかし、その時息子の体の中は、リンパ節のがんがすでに大きくなっていました。しばらく家で療養していましたが、少しずつ病状は悪くなり、平成17年1月24日、34歳で安らかに神様の元へ逝きました。
 金光教には、「神は、人間を救い助けてやろうと思っておられ、このほかには何もないのであるから、人の身の上に決して無駄事はなされない。信心しているがよい。みな末のおかげになる」という教えがあり、神様は、いつも私たちが幸せになれるよう願っておられ、特に難儀に悩み苦しんでいれば、すぐ側に寄り添って助かりへと導いて下さるのです。また、私たちが神様に心を向け、おすがりすることを待っておられるのです。
 私は息子の闘病中、自分のありのままを出して、ひたすら神様に願いすがらせて頂きました。神様は息子の限られた命をずっと抱えて一緒に苦しみながら、その時々になくてはならない方々や、数々の物をもお差し向け下さって、私たちはお世話になり、共に乗り越えることが出来ました。息子はそれを実感したからこそ、涙しながら、「みんなのおかげやな。母さん、ありがとう」と、あの言葉を残してくれたように思うのです。
 人の命の長い短いは、私たちの考えでは到底及ばない神様の深いお考えと大きな意味があり、息子はまさしく神様の思し召しを受けて旅立ちました。私は、「つらい悲しい出来事だけで終わらないように」と神様からメッセージを頂いたように思いました。ある日、息子の知人から、「彼の真っすぐな心に何度も救われました」と聞かされ、私の知らない息子の一面に、驚きとうれしさで元気になり、息子の生きてきた証を大切にしていこうと決心したのです。
 御霊みたまになった息子に、「あなたの親にならせてもらってありがとう」。私の素直な心です。
 毎朝、「側にいてくれてありがとう。今日も見守ってね」と話し掛けて、私の一日が始まります。

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