ありがとう


●先生のおはなし
「ありがとう」

金光教本部
金光信子こんこうのぶこ 先生


 結婚して9年、私たち夫婦には8歳の長男、5歳の長女、4歳の次女の3人の子どもがいます。子どもたちは最近、可愛さや知恵の発達と共に、言うことを聞かないことが目立って多くなりました。
 特に、なかなか宿題をしない、言っても聞かない長男にイライラすることが多くなってきました。時には、きつい言葉で叱ることも少なくありません。もちろん、掛け替えのない可愛い長男であるけれど、やるべきことをなかなかやらない長男の姿勢に、イライラを抑えられず、頭ごなしに叱ってしまう自分へ嫌気が差しつつも、同じような毎日を過ごしてしまうのでした。
 先日、風邪気味の長男にはおばあさんと留守番をしてもらい、家族で買い物に出掛けました。1時間ほどで帰る予定だったのですが、2時間掛かってしまいました。私は、予定外に時間が掛かったけれど、長男はきっと好きなテレビを気兼ねなく楽しんでいるだろうと想像していました。
 しかし、家に帰ると長男が、「もう、心配したよ! 事故に遭ったかと思った…。ほんと、事故に遭ったかと思った」と、ほっとするように何度も言い、素直な気持ちを伝えてくれました。普段は生意気な長男も、私たちを心配してくれる優しい気持ちを持って育ってくれていることを感じ、とてもうれしくありがたい気持ちになりました。
 また、他の日には、約束を何度も破る長男を夫が注意しようとした時、2人の妹たちが幼いながらにも、お兄ちゃんを守ろうとするのです。そんな2人の姿を見た時に、「あぁ、神心かみごころを頂いているんだなぁ」と痛感しました。神心とは、相手を思って「可哀想」「可愛い」と思う気持ちです。私たちは、可哀想な人を見て、「可哀想と思いなさい」、可愛いものを見て、「可愛いと思いなさい」とは教わりません。でも、言葉の違いや国境を超えて、生まれながらに、可哀想と思う心、可愛いと思う心を神様から与えられているのです。子どもたちには、その心がしっかりと備わり、「相手を心配し、思いやる」という行動に現れたのだと思いました。
 そこで、ふと気付かせてもらったのは、言うことを聞かない長男に、ついついイライラしてしまう私なのですが、神様がご覧になるとどうなのかなあ、ということです。
 金光教では、「人間は皆、神様のいとしい子ども」と言われています。神様は、常に人間を可愛いと思っておられるのです。
 夜、子どもたちの寝顔をのぞくと、とてもキレイな顔をしています。美人とか、ハンサムという意味ではなく、産毛、まつ毛、鼻の穴、唇…細部まで丁寧に作られていることを実感します。起きている間はイライラすることもあり、叱ることもあります。でも、その寝顔を見て、その寝息に触れると、本当にいとおしく、大きな命を感じます。これが、神様が人間を思って下さる思いと同じであると言われたら、素直にそう受け止めることが出来ます。そして、昼間叱ったことをゴメンネと後悔します。子どもを持たせて頂いて、本当にいろんなことに気付かせて頂きます。
 私も同じ目線を子どもに向けなければいけないと思いながらも、ついつい自分の思い通りにならないことが起きてくると、そのことにとらわれてイライラしてしまいます。しかし、一番大事なのは、自分の思う通りに物事が進むことではなく、今、自分を含め大事な人の命が、生きて働いていることだと気付きました。
 そこに気付いた時、私のイライラのあり方も変わっていきました。長男がやるべきことをやらなければ当然注意して諭しますが、その前に、「今日も元気で居てくれてありがとう」「大好きだからね!」と、気持ちを伝えるようにしています。
 以前、幼稚園で1人100円分の買い物が出来るリサイクルバザーがありました。長男は、自分の欲しいものを選んですぐにレジに行くと思いきや、商品の並ぶ棚をグルグル回り、よーく品定めをしていました。そして、「これは妹の分、これはお母さんの分」と、家族にそれぞれ選んでくれたのです。私は、子どもが小さいうちは親が子どもにしっかり愛情を注いで育ててあげなければいけないと、言うなれば何でも一方通行のように考えていました。しかし、子どもたちの、相手を思う気持ちを見せてもらったことで、お互いに思いを掛け合っていることに気付かされました。そして、以前お兄ちゃんからバザーでプレゼントをもらった妹たちも、今度は、「お兄ちゃんに、みんなに…」と、品物を選ぶようになりました。
 日常生活の中で、私たち大人が子どもを育てるだけではなく、子どもたちも私たち大人を育ててくれます。父親として、母親として、祖父母として、兄弟として…家族全員がそれぞれお互いに育てられていることに気付かされます。
 私は、「お母さん」と呼んでくれる子が居るから母で居られます。娘は、「お母さん、私のこと好き?」と愛情の確認をしてきます。「だーいすき!」と答えると、うれしそうに納得します。私もそうして大事な存在だということを確かめさせてもらっています。また、わがままなことを言う時は、「今はあんまり好きじゃない」なんて返すと、悲しそうな顔をして、「な~んで~~」と不満そうに言い返してきます。言葉一つで、その子が明るくなることを実感します。
 今日も私は、登校、登園する子どもたちの背中が見えなくなるまで、「今日も元気でありがとう!」と感謝の気持ちで手を振りたいと思います。

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