当たり前にありがとう


●先生のおはなし
「当たり前にありがとう」

金光教春日部かすかべ教会
小笠原操おがさわらみさお 先生


 私は現在、埼玉県にある金光教春日部教会で奉仕しています。
 私たちは生きていく上で、思い通りにならないこと、様々な問題、苦難に遭遇する場面が多くあると思います。私にもたくさんあります。その問題だけを見ていると、「大変だ!大変だ!」に終始してしまいます。しかし、その問題をどう受け止め、どう消化していくかによって、そこからの生き方が大きく変わっていくように思うのです。
 私が社会人として働いていたころの話です。仕事の途中で急に息苦しくなり、翌日病院で診断してもらったところ、肺の一部が破れて空気が漏れてしまう「自然気胸」だということで、すぐ入院となりました。簡単に言えば、肺が穴の開いた風船のようにしぼんでしまう病気です。20歳代から30歳代の背が高く、痩せた人に多く発症するようですが、あまり原因ははっきりしないということでした。またある時、ちょっとした不注意から足の骨にヒビが入り、数カ月の間、不自由な思いをした経験があります。ほんの小さなヒビでしたが、それでも全く歩くことが出来ない、家中を這って移動するようなことでした。
 皆さんはどうでしょうか。息が吸えて当たり前。歩けて当たり前。それまではそう思っていましたし、正直なところあまり意識して生活していなかったという方が正しいかもしれません。
 しかし、そうした病気、けがを経験すると、今まで当たり前のように思われていたことが、当たり前ではなく、実は大変なことなんだと気付かされるのです。少し大げさに言ってしまえば「奇跡」とも言えるわけです。これは、病気やけがに限ったことではありません。日常生活の中で、つい当たり前と思ってしまうことはたくさんあります。空気、水、陽の光など、数え切れないほどありますが、それが当たり前でなくなった時に、初めて大切さ、ありがたさに気が付くのです。失ってその大切さが分かる。悲しいことですが、それが私たちの姿なのかもしれません。
 昨年、有名ミュージシャンがミュージシャンの命でもある声を失い、その闘病手記が話題になり、私たちに感動を与えてくれたことは、まだ記憶に新しいことと思います。
 世の人の誰もが順風満帆にその人生を過ごすわけではありません。それは金光教の信心をしていても同じことが言えると思います。
 私の奉仕している教会に足しげくお参りになる男性の田中さんは、現在68歳。2人の娘もそれぞれ家庭を持ち、商売の傍ら、夫婦水入らずの時間を楽しんでいました。ところが昨年、咽頭いんとうがんのため8時間にも及ぶ声帯摘出の大手術を受けることになりました。これまで大腸がんも経験し、数年前にも咽頭がんの放射線治療を受けたこともありました。放射線治療の影響で唾液だえきが全く出ないということもありましたが、完治して元気に日常生活を送っていました。ところが、のどに違和感がいつまでも残っていたため、何度も専門病院で検査を受け、その都度、異常は無いという検査結果を頂いていました。
 安心していた田中さんでしたが、最近になってがんが見付かったのです。ご本人は、手術は声帯の全摘出になるため、出来るだけ避けたいと思っていたようですが、医師から、「声を取るか、命を取るか」という、究極の選択を迫られ、声帯摘出の手術を受けることになったのです。術後当初は、「こんな無様な姿を見られたくない」と、そんな自分の姿を受け入れることが出来ませんでした。
 これまで妻、子、孫たちと何不自由なく会話をすることが出来ていたのですから、まさかこんなに急に声を失うことになるとは、誰もが全く想像していなかったことでしょう。その時のショックといったら、私たちには計り知ることは出来ませんが、死の恐怖やこれからの生活への不安で押し潰されそうになったことと思われます。そして、「信心しているのになぜ? どうして?」という思いも起こったかもしれません。
 その後、経過は順調に進み、無事に退院され、現在は自宅療養を続けておられます。
 しかし、これまで何度も病気を乗り越えてきた田中さんだからこそ、生かされていることの喜び、健康であることのすばらしさ、家族の支えがどれだけ大きなものなのかなど、改めて気付かれたのでした。
 田中さんは、食道発声法に取り組みたいと前向きに考えるようになり、目下体調を整えているところです。
 奥様は、「主人が何を言おうとしているのかを口の動きを見て理解するようにしています。その顔と顔とを合わせるさまは、まるで新婚当初に戻ったようです」と話してくれました。  
今、出来ることを精いっぱい取り組もうとされる田中さんの姿に、命の尊さ、力強さを感じずにはおれません。
 何でも当たり前という感覚に陥ってしまうと、日常の中で感謝の気持ちが持てなくなります。当たり前のことなんて一つもないんだ、ありがたいことなんだ、奇跡なんだと考え直し、その尊さに気付くことです。
 「当たり前こそ奇跡」「当たり前にありがとう」。そんな気持ちを持ち続けたいものです。

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