●こころの散歩道
「ずっと大切にしたいこと」
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金光教放送センター
40年あまり前、学生運動から距離を置き始めた私は、大学3年目に休学しました。勉強する意欲もなく、朝から晩までパチンコ屋に入り浸っていましたが、ある日、「このままではいかんなあ…」と思い立ち、アパートの近くにあるショッピングセンターの中華レストランで働くことにしました。週6日、1日9時間の勤務です。
「いらっしゃいませ」「ご注文は何にされますか」。毎日同じ調子で注文を聞き、出来上がった料理をテーブルに運びます。単調な仕事なのですが、毎日、規則正しい生活を繰り返す中で、しだいに心が安らいでいきました。
レストランでは昼時、忙しい合間をぬって順番に厨房の奥で昼食をとります。いつも決まって、丼いっぱいの白飯とキュウリの醤油漬け。それを10分ほどでかき込むのです。
おなかをすかしている貧乏学生とはいえ、毎日そんな賄いが続けば飽きてきます。ところが、まるで見計らったかのように、チーフが、「注文と違ったから、これ食べて」と、間違って作った料理を時々に食べさせてくれます。チンジャオロース、酢豚、大正海老のケチャップ煮などなど、時折のごちそうが楽しみでした。
仕事に慣れてくると、中華料理の作り方を習ったり、喫茶コーナーでパフェを作らせてもらいました。定休日の前日には、仲のよいコックさんの小部屋でお酒を飲み交わします。仕事の愚痴、奥さんへの不満、いずれは独立して店を持ちたい、といった話の後で、いつも最後に、「せっかく大学に行かせてもらっているんだから、ちゃんと卒業しろよ」と説教されるのです。
1年ほど経ったころ、私はレストランでのバイトを辞め、大学生活に戻ったのでした。
大学を卒業した私は、地元で高校の教師になり、その後、転職して結婚。3人の子どもを授かりました。一番下の男の子が幼稚園に通うようになって、妻はパートで働き始めました。私も家事を分担し、時々に夕食を作ります。得意料理はもちろん中華。出来立ての熱々を一品ずつ食卓に出し、妻も子どもたちも、「おいしい」と大喜び。私はその度、中華レストランでバイトしたころのことを懐かしく思い出していました。
しかし、何年かしてふと、「あの時、チーフが『間違って作ってしまったから、食べて』と出してくれた料理は、間違ったふりをして、私のために特別に作ってくれていたのではないだろうか。きっとそうに違いない」。そんな思いが湧いてきたのです。若かったとはいえ、自分のことばかりに気をとられ、チーフのさりげない思いやりに気付かなかった未熟さを思い知らされました。
その数年前に、こんなこともありました。
次女が誕生し、私たち家族は少し広めの社宅に引っ越しました。花が大好きな妻は、道路に面した長い塀をとても気に入っていました。いくつものプランターに花を植えて並べ、家の前を通る人は、「すてきなフラワーロードですね」と喜んでくれました。
春先、妻はプランターに花の苗を植え、出来上がったプランターを私が並べていた時、3歳になった長女が草刈り鎌を手にしているのを見ました。すぐに鎌を取り上げ、「駄目じゃないか。こんな危ないものを持っちゃ」と叱りつけると、長女はびっくりして、大声で泣き始めました。
「きつく叱り過ぎたかな。でも、危険な物は手にしないように、厳しく教えておかなくちゃな」と自分を納得させていたら、通りすがりのおばあさんが私のそばに来て、穏やかな声で話し掛けてきました。
「そんなに頭ごなしに叱っちゃいけませんよ。小さくても、子どもは子どもなりに、お父さんのことを思い、お手伝いをしようとしているんですよ。そんな尊い心を授かっているんです。大切にしてあげて下さいね」
幼いながらも、私のことを思いやり、手助けしようとしていた我が子の尊い心の動きに気付かなかった自分、頭ごなしに叱り、しかもそれを正当化していた自分が恥ずかしく思われました。
私は今、63歳。結婚した2人の娘は、それぞれ2人の子どもを授かりました。普段は妻と2人暮らし。娘たちが帰ってくると、とても賑やかになります。
私が朝、部屋を掃除していると、3歳の孫が、「じいちゃん、僕もする」と言って、私の持っているはたきを取り上げ、障子をパンパンとたたき出します。私は、「あ、障子が破れる。しなくてもいいから…」と言いそうになるのをぐっと我慢して、「ありがとう。お手伝いしてくれるの。お利口だねえ」とにっこり笑って、孫を褒めます。また、掃除機を掛けるのに椅子をずらそうとすると、「僕も」と、一緒に椅子を持とうとします。時間が掛かっても一緒に運んで、「じいちゃん、うれしいなあ。ありがとう」とお礼を言います。
そんな時、あのおばあさんの、「子どもが授かっている尊い心を大切にして下さいね」という言葉を思い出すのです。意識せずにさりげなく思いやりが受け止められ、素直にお礼が言えれば、もっとうれしいのですが…。