ラスト一周の記憶


●こころの散歩道
「ラスト一周の記憶」

金光教放送センター


 私は小さいころ、カタツムリを見るのが好きでした。雨が降ると少しウキウキしながら、道端や公園にカタツムリを探しに出掛け、見付けてはじっとその様子を眺めていたことを思い出します。
 そういえば、人は強い者や早い者に熱狂したり、憧れたりしますが、反対にすごく弱い者や遅い者にもなぜか魅力を感じ、心を揺さぶられます。カルガリー冬季オリンピックで、ぶっちぎりの最下位だった、スキージャンプのイギリス代表選手。映画になったことでも知られるジャマイカのボブスレーチーム。負けても負けても走り続けた地方競馬の競走馬。みんな大人気になりました。
 「いったい、その人気の秘密はなんだろう…」
 そんなことを考える時、私の中学高校時代の出来事が頭に浮かぶのです。

 私は中学生になって、部活に卓球部を選びました。しかし練習がきつかったり、なかなか上達しなかったりで、3カ月ほどしてさぼりがちになりました。ちょうどそのころ、市の大会で新人戦があり、私も出る予定だったのですが、「どうせ簡単に負けちゃうし…」という気持ちから、体調が良くないなどと適当な理由を付けて参加しませんでした。そうすると、わざと試合を避けたことに、どこかモヤモヤした思いが、心の奥の方に居心地悪く座り続けたのです。

 時は過ぎ、高校2年生の時です。体育祭に向けて、誰がどの種目にエントリーするかを決めていました。どんどんと決まっていくのに、最後まで男子の1500メートル走に出るメンバーが決まりません。
 各クラスから2人のメンバーが必要です。その時に体育祭の実行委員をしていたのが私の友人でした。いつまで経っても誰も出たがらないので、私に、「すまん、出てくれないか?」と、とても困った顔で頼み込んでくるのです。私は思わず、「無理ムリむり!」と反射的に声を上げました。球技はそこそこ得意だった私も、走るのは短距離も長距離もすごく遅かったのです。
 「みんな僕より速いやん!」と拒み続けましたが、彼の切ない表情にとうとう押し切られ、「分かった…、出るよ…」と引き受けてしまったのです。
 もう1人、私と同じように決まったクラスメートがいました。彼もあまり走るのが速くないようで、少し安心して当日を迎えることになりました。
 当日です。「さぼろうかな」という気も少ししたのですが、中学の時のモヤモヤした記憶もよみがえり、1500メートル走の集合場所に向かいました。ところが、一緒に出るはずのクラスメートが見当たりません。「あれっ? さっき確か見かけたのに…」と探しましたが、結局現れませんでした。
 いよいよスタートです。周りはいかにも速そうな運動部の連中ばかり。私はといえば写真部です。「ヨーイ、ドン!」とともに20人ほどが一斉に走り出しました。
 「な、なんだ、100メートル走か! これは…」という勢いで全員があっという間に私から離れていきます。付いていこうにも付いていけないので、ポツンと離れて走っていると、300メートルのトラックを5周するそのレースの、3周目辺りから、1人、2人、3人…と少しずつ追い抜かされ、4周目には、とうとう全員が私を周回遅れにしてしまいました。ということは、ラストのトラック1周、全校生徒を前にして私は1人で走ることになってしまったのです。
 私は恥ずかしさでいっぱいになりましたが、照れ隠しするために、苦笑いを浮かべ、みんなに手を振りながら走りました。友人たちが大笑いしながら私を指さしているのが見えました。写真部の先輩が私の姿をフィルムに収めているのも見えました。
 ゴールすると、「かっこわりー」、そんな言葉が口をついて出てきました。

 卒業して、高校時代の仲間と集まった時、体育祭の話題になり、私の周回遅れの姿が話のネタになりました。その時、その場にいた1人が私につぶやいたのです。
 「あの時はゴメンな…」
 彼は1500メートル走にさぼって出場しなかった当時のクラスメートでした。私の方はすっかり忘れていたのに、彼の方はずっと気にしていたことを知りました。

 私は中年と言われる年齢になりましたが、今でもカタツムリを見付けるとじっと眺めていることがあります。
 小さいころ「ウサギとカメ」の童話を読んで、「いくら速くても油断してはいけないんだなあ」と教わりました。加えて今は、いくら遅くても逃げなかったカメは、「かっこいい!」と感じます。結果がどうであれ、ただ自分のペースで最後まで歩むこと、そのことに価値があるんだ。そう気付かせてくれたのは、私の体育祭の記憶の、そのすがすがしさなのです。

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