●シリーズ「あなたへの手紙」
第2回「膝の痛み/子どものしつけ」
金光教放送センター
おはようございます。昨年、北陸新幹線が開通した富山県にある金光教富山教会の三浦義雄です。最初に、80代の女性から。
「私はこれまで入院したこともなく、元気に過ごしてきました。でも最近、ひざの痛みがひどく、歩くのがかなり不自由になってきました。この先どうなっていくのか、すごく心配です」
このような悩みが寄せられました。
ありがとうございます。教会でも、参拝している高齢の方から、同じような悩みをよく聞きます。長い年月、体を使わせてもらい、痛いかゆいがあるのは当たり前、と頭では分かっていても、さぞかし心配なことでしょう。
以前、年配の信者さんから、「ひざが痛い時には、ひざを始め、体へのお礼が足りないんだと思い、体の一つひとつにお礼を言うようにしています。そうすると、不思議に痛みが和らいでくるんです」という話を聞いたことがあります。
まずは、痛みにとらわれないことですね。とらわれすぎると、「全く歩けなくなるのではないか」といった心配や不安が起きてくるものです。「ひざが痛い」と感じたら、即座に、「長い年月、よく頑張ってくれてありがとう」と感謝し、「痛みを感じられるのも生きている証」と思い直して、命あることにお礼を言うように心掛けてみてはどうでしょう。きっと痛みも和らいでくると思いますよ。
また、私の母も晩年、ひざの痛みで歩くのが難しくなりました。でも、少しでも歩けるうちに、岡山にある金光教の本部に参拝したいと願いを立て、お参りさせて頂きました。なだらかな丘にある参拝道を、一歩ずつ、「ありがとうございます」とお礼を申し上げながら、ゆっくりと歩かせてもらい、帰ってから、「ほとんど痛みを感じなかった。ありがたかった」と喜んでいました。
四代教主金光様は、「出来ないと 悲しむよりも 出来ること 喜ぶべきと またしても思ふ」「出来ないと 悲しむよりも 出来ること 喜ぶべきと またしても思ふ」というお歌を詠んでおられます。年を重ねていくにつれ、出来ないこと、不自由なことが多くなっていきます。そんな時にこそ、このお歌のように、出来なくなったことを嘆き悲しむより、少しでも出来ることを喜んでさせて頂こうという、前向きな姿勢を持たせてもらいましょう。神様もきっと力を貸して下さいますよ。
次は、関西在住の30代の男性からのお尋ねです。
「私にはもうすぐ3歳になる息子がいます。やんちゃ盛りで言うことを聞かず、手に余ることもしばしばです。妻はそんな時、いつもではありませんが、大声で叱ったり、時には手を上げることもあります。育児の大変さは分かるのですが、『もうちょっと優しく諭したら』と言うと、『生優しくしていたら、図に乗って何度も同じことをするし、イライラする』と言い返します。子どもを叱ったり、たたいたりすることについて、金光教ではどのように考えますか」
このような質問です。
ありがとうございます。あなたは多忙な中で、家庭では育児にも協力されているのでしょう。でも、「子どもを叱り、時にはたたくのも必要」というような子どものしつけ方には疑問を持っておられるんですね。
幼いころ親にたたかれて育った方から、何度か話を聞いたことがあります。どの人も、ずっと理不尽な思いを持ちながら逃れることが出来ず、心もひどく傷つけられ、そのことが原因で、大人になってもつらく、苦しい生き方を強いられているのを感じました。そのような話を聞き、深い苦しみの一端に触れるにつけ、子どもをたたいてしつけることを正当化してはいけない、という思いを強くしています。
人は皆、神様から命を賜り、神様の愛しい子どもとして生かされている掛け替えのない存在です。子どももまた、神様の愛しい子どもとして、親に託されたこの世に一つしかない宝物です。その尊い命を守り、健やかな成長を願い、養育することが、神様から願われている親の努めだと思います。
金光教祖は、「子どもを叱り叱り育てるな」。「子どもの頭をたたくより、自分の頭をたたけば、すぐおかげになる」と教えられています。しかし、とりわけ幼児期の子どもが言うことを聞かない時、叱ったりたたいたりせず、成長を見守りながら育てさせて頂くには辛抱が要ります。時には、親としてのあり方を改めていく勇気も要ります。自分たちの力だけで育てようと思うとしんどい。何か支えがあるといいですね。
あなたのお子さんと年代は違いますが、以前、私の娘が高校生のころ、家出をし、何度電話しても帰ってこない、ということがありました。幸い、すぐに帰ってきたのですが、その間、ただただ無事を神様にお願いし、娘を信頼して待つことしか出来ませんでした。でも、神様にお守り頂いているという確信があったので、娘との関わり方を反省しながら、落ち着いて待つことが出来ました。
優しく子どもを諭していこうという、あなたの今の気持ち、大切にして下さいね。ご夫婦で教会に参拝され、教会の先生のお祈りを支えとしながら、神様のお守りを頂かれるのはとても心強いことですよ。