祖父を辿り


●先生のおはなし
「祖父を辿り」

金光教志筑しつき教会
地田治美ぢでんはるみ 先生


 日本で一番初めに創られたと、国生み神話で語られる淡路島。ここには7つの金光教の教会があり、私が奉仕している教会はそのうちの1つです。
 神様をお祭りする部屋に、大きな額縁に入ったおばあさんとおじいさんの白黒の顔写真が掲げてあり、幼い頃、この写真の人は誰かと両親に尋ねました。おばあさんは教会を開いた初代の先生、その隣の長いあごひげを生やしたおじいさんは2代目の先生だと知りました。今では、あごひげ先生の隣には私の祖父の写真が並んでいます。
 昨年の春、仕事で京都の亀岡へ行きました。そこは祖父が生まれ育ったところで、自ずと祖父のことが思い起こされました。
 祖父は軍人として身を立てていましたが、30歳の時に大病を患い、再起不能と診断を受けました。この先どのようにして生きていけばいいのかと希望を失いそうな時、療養のために訪れていた淡路島で金光教と出合います。2代目のあごひげ先生から教えを受け、助かりたい一心で神様にすがりました。さらに、「教会で神様の御用をすれば助かる」と、先生の導きのままに35歳で金光教の教師となりました。2年後あごひげ先生亡き後、教会を継ぎました。
 私が5歳の時、祖母が病気で寝た切りになりました。今でこそ、介護保険制度や介護施設が整い、いろいろなサービスが受けられますが、当時は家庭の中で家族が介護するのが当然といった時代でした。
 朝、昼、夕、三度の食事は母が食べさせてあげ、週に1,2回父と祖父と2人掛かりでお風呂に入れてあげていました。そして祖父は必ず夜寝る前に、お湯で絞ったタオルで祖母のおしりを拭いてあげて、紙おむつを整えてから布団に入っていました。祖母が亡くなるまで8年の間、毎晩毎晩していました。「おじいちゃんは優しいなぁ、男の人でもこういうことするんだなぁ」と幼いながらに胸を打たれ、その姿が一番心に残っています。
 祖父が亡くなって数年後に、一冊の大学ノートが見つかりました。祖父が大切にしていたと思われる言葉や教え、また、あいさつの原稿などが書かれていました。
 特に目に留まったのは、教師勤続40年の賞を受けた記念の、信者さん達へ向けてのあいさつの原稿で、次のように書かれていました。
 「再起不能と言われました大病にかかり、我が道のおかげをこうむり、75歳までも生きながらえておりますことは、信心のおかげと日々感謝しております。
 家内は21歳で私の元へ嫁いで来ましたが、それから今日まで40数年の間、不平も言わず、ただ黙々と私のような短気でわがまま者の世話と、7人の子どもを生み、その育成に献身的に尽くしてくれました。
 ことに昭和13年、私が戦争に招集され、5年間、皆さんの温かき援助あってのことでありますが、教会の御用に当たり、留守を守ってくれました。
 また、戦後の筆舌に尽くせぬ生活の苦しみに堪え抜いてくれましたことなど思いますと、感謝の気持ちでいっぱいであります。そればかりでなく、私は精神的にも物質的にも私的にも公的にも、苦しい時がしばしばありました。しかしどのような苦難の時でも、私を助けて心の支えになってくれました。
 家内も元気で、この席で共々に皆様にお礼が申し上げられないことを誠に残念に存じます。しかしながら、脳卒中を起こしてそのまま死亡する人も多いのに、寝たきりで動けぬながらも、生かされておりますことはせめてものこと、有難いと思っております。皆さんからご心配もして頂き、祈られております家内は幸せ者であります。
 40年の表彰を病床の家内にも喜んでもらい、余命のある限り御用に勤め、おかげをこうむりたいと存じます」と、このように書かれていて、支えとなってくれていた祖母への感謝の思いがあふれていました。
 この文章を読んだ時、幼い頃、おばあちゃんのお尻を拭いてあげたり、お世話をするおじいちゃんは優しいなぁと感じていましたが、それは優しさだけではなく、あふれんばかりの祖母への感謝の思いの現れでもあったんだと強く感じました。
 さて、私は結婚して18年。祖父と祖母のように、支え合い、感謝し合える夫婦でありたいと思い、心掛けているつもりですが、ある時夫から、「お前は感謝の心が足りない!」と言われました。
 大変ショックでしたが、あることが浮かびました。夫に対して感謝どころか、着替えて脱いだ服を、いつも脱ぎっ放しにしていることを不満に思っていました。その思いを改めようと、「お世話になるすべてにお礼の心」という教えを元に、夫が脱いだ服をお礼の心を持って畳んでみようと思い及びました。
 夫が今日も元気に仕事に出掛けられたことにお礼。夫と共に私も今、命があるからこそ、こうして服を畳むことが出来ていることにお礼。夫の体を守ってくれる服にお礼。お礼を見つけながら毎日服を畳んでいるうちに、不満に思う気持ちは日に日に和らぎ思いやりが増していきました。
 そして出張や会議が増え、普段の会社の制服以外に、ワイシャツにネクタイを締め、スーツを着ることが多くなった夫から、ある朝ネクタイを結びながら、「いつも準備してもらってすまないな。ありがとう」と言ってもらえました。
 少しは祖父と祖母に近づけたかな…とうれしく思えたのでした。

タイトルとURLをコピーしました