トマトの心


●信心ライブ
「トマトの心」

金光教放送センター


(ナレ)金光教の集会で行われた発表や講話などを録音で紹介する「信心ライブ」。
 今日は、福岡県香春かわら教会の山下輝信やましたてるのぶさんが、平成26年10月22日に、金光教本部でお話されたものをお聞き頂きます。山下さんは、金光教本部のある岡山県金光町で、単身赴任されています。

(音源)私は、野菜と果物が大好物で、 よく頂きます。
 その中でも、トマトが大好物なんですね。トマトというのは非常に便利がいいですね。野菜ですけれども、野菜にもなり、果物にもなりますから、もう本当に再々頂いております。
 そこで、これは、庭にトマトがあるとええなと思ったんですね。ところがですね、宿舎は庭土ですから、畑はもちろんない。
 ここを掘って、トマトが育つかなと思ったんですけど、まあやってみようということで、固い土の上に1~2センチ荒砂を引いてあるのを10センチぐらい掘り起こして、肥料をやりましてですね、トマトの苗を2本買ってきて植えました。
  「はあ、お土さんお世話になります。どうぞよろしく。お天道様ありがとうございます。どうぞよろしく。お湿りさんありがとうございます。どうぞよろしく」
 毎日ですね、水をやる。「トマトさんありがとう。どうぞ元気でおかげをこうむって下さい」いうてですね、本当に自分なりに愛情込めて接してまいりました。
 家の前は、道ですね。そして、その向こうは、田んぼなんですね。こっちは、ずっと畑なんですね。農家の関係者はたくさんおられる。ですから私がトマトを植えとるのは知っとる訳ですね。
 最初のうちは恐らく、「なるもんか」と思っとったんでしょうけれども、それがなり出すんですね。ぽつぽつぽつぽつ花が咲いて、実がなる訳ですけど、そうすると、行き交う方が、「あら、なっとらあ」というてびっくりする訳ですね。
 そして、そのうち、次々とトマトがなる訳ですね。大きくなる。色付いてくる。隣の畑の方が、こう言うんですね。「まあ、お宅はようなりますね。うちは、こうはならん」と、畑専門にずっとやっておられる訳ですけれども、「お宅のようには、うちは出来ない」と、こういう訳ですね。
 それから6月になりまして、家内がお参りに来まして、そして、1泊して帰ったんですけども、その時にですね、庭の草むしりをしとったんですね。トマトの周辺をですね。
 家内が上がって参りまして、「隣の方がよう言いよったけど、確かによう出来とるね」と言う。
 「そりゃあ天地のお恵み、お働きを頂いてね、しっかりお礼申して作らせて頂いとるから、お世話させて頂いとるから、そら出来るさ」と言いました。そうしましたら家内がですね、「そりゃね、あなたがしっかりお礼申して、しっかり喜んで、しっかりありがとう言うて頂いておるから、私は出来ると思うよ」と、こう言ったんですね。
 辛口の家内で、褒められたことはないですね。よく言われたこともありませんけれども、珍しく言いましたですね。
 「あ、そこだな」と思ったですね。正しくこちらが喜んでトマトに接し、採る時も、「トマトさん、ありがとう」と言うて採らせて頂いて、頂く時も、「本当にトマトさん、ありがとう。親神様頂きます」と言うて頂く。そのハートが、やっぱりトマトに通じるんだろうと思うんですね。
 「何? トマトに心があるもんか。通じるもんか」と言うんですけど、信心があれば分かるんですね。やっぱりトマトにはトマトの心、人間には人間の心があるはずですね。この天地から私ども人間は、命を頂いとる訳ですから。そして、天地の親神様からお心を頂いとる訳ですから。トマトも全く等しく、トマトとしてこの天地から命を頂いとる訳ですから。
 人間の心とは違いますけれども、トマトの心があるはずですね。「ありがたい、うれしい」という心でやっぱりお世話し、採らせて頂き、頂けばですね、必ず伝わると思うんですね。そういう風にして頂くからこそ、頂いたトマトも喜ぶ。そのトマトの心が分かるというのが、やっぱり信心だと思うんですね。
 4月末に植えましてですね、5カ月ですよ。5カ月ずっと収穫が出来ているんですね。2本の苗ですよ。
 このごろでは、前を通る人が、今度は表現を変えました。最初は、「なっとらあ」。「ようなっとる」。「まだなっとる」と言うてですね、本当に冗談抜きでそう言って通るんですよ。
 ですから、「本当にありがとうございます」と言うて3つ採ればですね、また3つぽこぽこぽこと出てくるんですね。そりゃあこの時期ですよ。もう根本は木のようになって、枯れかかってます。けれども、7~80個なっとる訳ですね。
 やっぱり喜び合うんですね。ありがとうございますの心が、トマトに通じてですね、そして、トマトがまた出来るんですね。
 これはもう人間対人間もそうだと思いますし、人間と万物もそうだと思うんですね。「ありがとうございます」という心を伝えるから、向こうも「ああ」と思うんですね。そのものの心が、そこに何らかの形で生まれ現れてくるんじゃないかと思うんですね。

(ナレ)トマトの心、考えてもみませんでしたね。私の知り合いで、会社を定年退職した方が、家庭菜園を始めました。今まで会社に勤めていた時は、雨が降ると憂鬱でしたが、今では雨が降ると、畑の作物たちが、潤い、喜ぶ恵みの雨だと思え、雨降りもまたうれしくなる、とお話してくれました。山下さんがおっしゃるように、あらゆるものは「等しく心を頂いているもの」として、謙虚に「しっかり喜んで、しっかりありがとう」の心で接していったら、聞こえないと思っているものの声が聞こえてくるかも知れません。
 いえ、それだけではありません。それらを生かそうとしている天地の声、神様の声も、聞こえてくるように思いました。

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