私を取りまく応援団


●信心に出合って
「私を取りまく応援団」

金光教放送センター


(ナレ)京都府にある金光教鹿ヶ谷ししがたに教会にお参りする熊野俊文くまのとしふみさんは現在58歳。奥様とお子さん、お孫さんに囲まれて、毎日を元気いっぱいに過ごしておられます。
 熊野さんは幼いころ、母と兄の3人家族でした。ところが…。

(熊野)小学校低学年の時だと思うんですが、近所の友達と遊んでいる時に、そこのおばさんが、「あなた、あそこの子どもじゃなくて、妹さんの子どもだよ」っていうことを言われました。すごくそれが私にとってはショックで、すぐに家に飛んで帰って母に尋ねたんですが、「今は言えない。あなたが小学校6年生になったら言ってあげる」ということでした。
 それまでにも、兄と言ってても、9つも年が離れているし、顔もどうも違うので何回か母に確認はしたんですが、「いや、あんたは私の子どもだよ」ということを言われたので、ずっとそれを信じておったところに、そういう青天のへきれきの話があったものですから、本当にびっくりしました。で、小学校6年生になるのを心待ちにして、6年の時に聞けば、やっぱりそうだったということで…。

(ナレ)実は、生みのお母さんは、熊野さんが2歳の時にがんで亡くなっていたのです。父親もおらず、独りぼっちになった熊野さんを、伯母さんが引き取り、我が子同然に育てていました。
 衝撃の事実を知らされ、複雑な思いを抱いた熊野さんでしたが、金光教を信心する伯母さんの生き様に引かれ、母として慕っていきます。

(熊野)子どもの時の記憶の一つなんですが、雨の日に、母(伯母)が買い物から帰ったのですが、慌てた様子でした。それで、急いでタンスの中から下着を取り出しまして、「私と一緒に来なさい」ということで、自宅の近くの橋のたもとで、大工さんらしき人たちが、雨でずぶ濡れになっておる。そこへ下着を持って、「これをどうぞ着て下さい」と。私は大事な下着、当時そんなに裕福な家庭ではありませんでしたから、「お母ちゃん、こんなん渡してしまったら」って言ったら、母は、「いや、これは神様がまた買ってくれるから大丈夫や」と言ったんです。その人たちに喜んでもらえるっていうことを見させてもらった時に、子ども心に親としての尊敬と言いましょうか、すべて神さんに任してるっていう安心感を持ってられる人でしたから、子ども心に、こういう人になりたいなあということを思ったことがあります。

(ナレーション)育てのお母さんの信心は、子ども心に深く染み入り、成人してからは、自ら教会へ足を運びました。
 友人の紹介で25歳から勤め始めた印刷会社。ところが給料がとても安く、それは結婚して妻と子どもを養う熊野さんにとって死活問題でした。紹介してもらった友人への恩義もあって熊野さんは迷っていました。

(熊野)40歳のちょうど節目の時に、このまま辛抱すべきかどうか、ということを先生に相談しました。このまま我慢するようなみ教えを言われるのかなあと思いましたら、「いや、熊野さん。お風呂のお湯がぬるかったら沸かせばよい。ぬるいのがおかげだと思ってそのままにしている人が多い、と。そうじゃない。ぬるかったら沸かせばいいんですよ」というみ教えを頂いて、私の気持ちが吹っ切れました。

(ナレ)先生の言葉が熊野さんの背中を押してくれました。お世話になった友人や印刷会社に礼を尽くし、思い切って退職。かねてから興味があった大きな砂糖の卸問屋への入社がかないました。
 生活も安定し、それから15年の年月が流れました。ところが…。

(熊野)今からちょうど3年前の時なんですが、今で言う一種のリストラで、「辞めてもらえませんか」というお話がありました。まあ困ったなあと思いながら、でも神様にお願いしている中でのことなので、受けさせて頂きました。毎日自転車でハローワークに行き、毎日教会で、「先生、今日も仕事見付かりませんでした」という日々が続いておりました。再就職まで振り返りますと6カ月掛かりました。
 ありがたいことですが、京都でも有名なあんこ屋さんに入ることが出来ました。
 でも正直な話、その6カ月間っていうのは、毎日毎日やはり不安で、精神的にも参るような日々が続いておったんですが、その時にふと思わしてもらうのは、うちの母親(伯母)がいつも、「神さんを離したらあかんよ」ということをずっと言ってましたもんで、毎日お教会に足を運んで、先生にみ教えを頂きました。先生がいつも口癖のように言われたのは、「腐ったらあかん。信心は楽しむもんやで」と。それがありましたから、苦しい6カ月間の日々を乗り切れることが出来たんだろうなあ、と今になって思います。

(ナレ)信心に出合ってから今日までを振り返って、熊野さんには思うところがあります。

(熊野)あのう、不思議なことって言いましょうか、小学校時代から今日まで、必ず私のそばに一人、私をカバーしてくれる人がいるんですね。
 例えば私、リウマチ熱っていう病気を持っておりまして、小学校に7年行きました。今で言ういじめがあったんですね。その中でも、私をいじめの中からかばってくれる同級生もおりましたし、中学の時も、高校の時も、今でも社会人になっても、誰かがかばってくれる訳なんですね。導いて下さっている。そういう人が、今も現れている訳なんです。私のサポート役って言いましょうか。
 これはどう考えても、神様、そして、まあ2人とも御霊みたまさんになりましたが、生みの親、育ての親の御霊さんのお働きしか考えられない。そんなにうまいこと、自分をサポートしてくれる人が現れる訳がない。本当にありがたいものだなと思います。
 信心させて頂いて、何が一番あなたのためになりますかって言うたら、やっぱり絶大な安心感が得られるっていうことですね。応援団いっぱいいますもん。

(ナレーション)2人のお母さんを始め、家族親族、教会の先生、そして、神様。心強い応援団に支えられて、熊野さんの人生は続きます。

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