毎日の神頼み


●信心に出合って
「毎日の神頼み」

寺本公子てらもとともこ さん


 皆さんは、苦しい時、悩んでいる時、不安でどうしようもない時、どのように乗り越えていますか。
 窮地に立たされた時、思わず、「神様お願いします」と祈った経験がある方は多いと思います。「困った時の神頼み」とも言いますが、今の私の生活を一言で言うと「毎日が神頼み」です。
 それは、困った問題に頭を抱えているからではありません。普通の日常が当たり前のことではないと実感したことで、「今日もいのちをありがとうございます。家族みんなが無事に過ごせますように…」と、日々のお礼とお願いを、金光教の教会にお参りして神様に祈るようになりました。それには、あるきっかけがありました。
 私には、2人の息子がいます。ある時、当時4歳だった長男が熱性けいれんを起こしました。初めは何が起こったのか分からず、震える手で電話を掛け救急車を呼び、おろおろするばかりでした。一般的には、成長するにつれて熱性けいれんを起こすことはなくなると言われていますが、長男の場合は、その後8歳まで、5回も救急車のお世話になり、入退院を繰り返しました。私は、息子が熱を出す度に、高熱になるのがただただ怖く、「神様助けて下さい」とすがるように祈るばかりでした。毎年寒くなると子どもの体調ばかりが心配で、いつしか冬が恐怖の季節になっていました。
 そんな不安を抱えていたころ、何人かの金光教の先生のお話を聞く機会がありました。その中で、「教会にお参りして、お取次とりつぎを頂くことで、いのちが助かる」という内容を繰り返し聞きました。
 「お取次」とは、神様と人との間を取り次ぐという意味です。教祖様によって始められたもので、参拝者の願いを神様に届け、神様の願いを参拝者に伝える。神様と人とが共に助かる生き方を求めていく、金光教の信仰の中心です。
 私は教会で生まれ育ち、実家を離れてからも自分では信心をしているつもりでいましたし、お取次の大切さも理解はしていたのですが、そのころはあまり教会にお参りしていませんでした。それがこの時、先生方の言われた言葉が心に深く響き、「お参りして、お取次を頂くことでいのちが助かるとはどういうことなのか。自分で確かめてみたい」と思いました。それから、私は思い切って近くの教会を訪ね、その後毎日お参りするようになりました。
 今、1年半ほどが経ったところです。お参りを始めて自分の中で何が変わったかというと、一番大きなことは「日々改まれるようになった」ことです。例えば、教会に1歩入る前までは、慌ただしい時間に追われて疲れていたり、不満があったりしても、ひれ伏してお祈りしていると、ありがたい気持ちが湧いてきて、反省させられたり、お礼の気持ちしか出てこなくなることがあります。
 日常生活で心に積もった汚れを拭き取ってもらえるような感じです。毎日これの繰り返しで、また心の中にホコリも積もれば、汚れてもいくのですが、お参りすることで、汚れが染みにならないうちに洗ってもらえる。その日の汚れはその日のうちにという「いのちの洗濯」をしている感じです。そして、お取次を頂くことで、たとえ自分の願い通りにいかなくても、そこにある神様のお働きや見守りを感じるようになりました。
 日々悩んだり、迷ったり、落ち込んだりする私のような弱い人間にとって、そういう場所があることは、本当にありがたいことです。金光教の教会は、教祖様が世界中の人に開いた「救いの場」です。いつでも、誰でも、子どもでも大人でも、年齢や立場にかかわらず、お参りして話を聴いてもらえる。神様のお働きを学び、祈りを通していのちが助かる場所であることを改めて感じています。今では息子たちも、「今日も元気でいっぱい遊べますように」「野球の試合でヒットが打てますように」など、幼いながらに日々の出来事をお願いしていて、神様にお願いすることで、何かが変わるということを感じているようです。
 おかげさまで、長男は、その後、熱性けいれんを起こすことなく、元気に10歳を迎えました。先日は、学校で『いのちのおはなし』という本の読書感想文を書き、学校の代表として選ばれました。国語が苦手な息子なので意外なことで驚きましたが、そこにはこう書いてありました。
 「自分の心臓や体の中のものは、自分で動かしているのではありません。人間はいろいろな働きによって生かされて生きているんだなあと思いました。…ぼくも与えられた自分のいのちの時間を、他の人のために使っていけるようになりたいです」。
 体の弱かった息子も、いろいろな方のお世話になりながら成長させて頂き、神様のお働きを感じているのだと、とてもうれしく思いました。
 金光教の教祖様は、「信心は日々の改まりが第一である。毎日、元日の心で暮らし、日が暮れたら大みそかと思い、夜が明けたら元日と思って日々うれしく暮らせば家庭に不和はない」と教えて下さっています。
 朝には今日のいのちのお礼と一日のお願いをし、夜には一日のお礼をする。そんなささやかな「毎日の神頼み」が、私にとっては今一番大事な取り組みです。
 これからも教会にお参りしてお取次を頂き、どんな時も神様から頂いたいのちのお礼が出来る自分でありたいです。そして、家族の幸せと共に、一人で不安を抱えている多くの人が、このお道と出合えることを願っています。 

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