●信心に出合って
「心の支え」
牧野英一 さん
私は伊豆諸島の1つ、大島にある金光教伊豆大島教会にお参りしています。
東京以外にお住まいの方からすると、伊豆諸島や小笠原諸島が東京都であることや、それぞれの島に公立の小中高等学校があることをご存じない方が多いのではないでしょうか。東京都内にお住まいでもあまり知らない方が多いとお聞きします。
私が初めて赴任したのは伊豆大島の中学校でした。それ以来、不思議と大島にある3つの学校を回りながら25年間勤務していました。これは大変珍しいことです。
では、なぜ伊豆大島にある金光教の教会にお参りすることになったのかと言いますと、初めての勤務先であった中学校で妻と知り合ったのですが、その妻が伊豆大島教会の娘だったのです。妻も私と同じ年に着任しましたが、今思うと、不思議な縁だったと思います。知り合った時は、当たり前かもしれませんが、妻が金光教の信心をしているなど一切知らず、ある時、伊豆大島教会の娘だということを知りました。
私は香川県丸亀市で生まれましたが、高校卒業後、大学進学と共に上京しました。実は私の父は金光教を信心しており、父の祖母も金光教の信心をしていました。今、思うと曾祖母の信心があって妻と出逢い、私がここにいるように感じます。
さて、私の日課は、出勤する前に伊豆大島教会へお参りし、続いてお墓にお参りします。教会では、生徒の無事や家族の健康など、例えささいなことでも神様にお願いし、先生にお話を聞いて頂きます。そして、今日一日の始まりにお礼を申します。
教会にお参りをすると、「神様に任せている」という安心感から、不思議と不安が無くなります。いざ、何かあった時には、「金光様」と心の中で唱えます。こんな感じで生活の中に神様と共にあると私は感じています。
今から約3年前、平成25年10月16日のことです。台風26号による土砂災害で、36名もの尊い命が奪われました。いまだに行方不明の方々もおられます。家屋の全壊は50棟、半壊は26棟、一部破損は77棟という大きな被害を受けました。
私の家は土砂災害の発生した場所から約20メートル程しか離れていない沢沿いにありました。土砂災害が起きた時、私たち家族は2階に寝ていました。台風が大島に接近するということで、いつも通りの台風対策をして夜を迎えていましたが、いつも以上の激しい雨音と風の音。そして、地響きのような奇妙な雰囲気に目が覚めました。
すると、突然、ドーンと何かが家にぶつかり、家が揺らいだのです。何事かと飛び起きるも、停電になっていたので何も見えません。手探りの状態で1階に降りようとすると、下からは雨風の音に加え、生臭い臭いが立ち込めていて、階段を降りていくと土砂が入ってきていました。携帯電話で警察に連絡をし、逃げるべきなのか、その場に留まるべきなのか尋ねようとしましたが、警察署内もパニック状態で状況がはっきり分かりません。そんな中、妻と娘の3人で沢の反対側から、土砂に足を取られながらも、高台の方へと避難しました。
夜が明け、外を見ると三原山は大きなひっかき傷が出来たような山肌となっており、大木が道を塞いでいるという状況で、ただあぜんとするばかりでした。そして、驚いたことに、私たちが歩いて逃げた所だけが、大木やがれきが無かったのです。
私の家は、大規模半壊という被害状況でしたが、神様に助けて頂いてありがたいという思いでいっぱいでした。
その後、教え子たちを含め、大勢のボランティアの方たちと共に、家の中の土砂の掻き出し作業や消毒、床下に潜っての土砂の除去、自衛隊の方たちによる道路の復旧作業やがれきの撤去作業など1年ぐらい掛けてやっと災害後の片付けが終わりました。
また、私の家は、伊豆大島教会の祭典会場でしたので、全国の金光教の教会から、お見舞いやボランティアの方たちの支えがあり、ようやく家の改修工事だけは終えることが出来ました。
それでも、まだ大島全体の土砂災害における復旧事業は始まったばかりで、この先10年を掛けて取り組みます。現在でもまだ、安全で安心な状況とは言えませんが、今、こうしてあることに感謝の気持ちでいっぱいです。
多くの方々のお世話になり、その温もりに触れる中で、改めて、生かされていることのありがたさを痛感いたしました。
世の中色々なことが起こります。心を安らかに、日々の生活を楽しく過ごすためにも、信じるものがあり、心の支えになるものを持ちたいと思います。
「金光教って何?」と思われる方がいらっしゃれば、気軽に一度教会にお参りしてはどうでしょうか。悩みは誰にでもあるはずです。安心感が生まれ、きっと気持ちが楽になると思います。
最後になりましたが、台風26号による土砂災害で被災された方々に改めてお見舞いを申し上げると共に、亡くなられた方々のご冥福をお祈り致します。